ベーカリーアドバイザーの部屋

難解な製パン理論を、楽しく解説。 どうして??と思ったらのぞいてみて下さい

本当に凄い人・・・その生きざまに学ぶ

奇跡のリンゴというのをご存知でしょうか?

NHKの番組で紹介され、映画にまでなった現役のリンゴ農家、木村秋則さんの事です。

今では有名になり過ぎて、知らない人はいないと思いますが、改めて木村さんの何が凄いのかを、「絶対不可能を覆した農家・木村秋則の記録」という本を通して紹介しておきたいと思います。

1970年代半ばのこと、木村さんは自らのリンゴの木に、一切の農薬散布を行う事をやめました。

無農薬の農産物というのは、今では誰でもその存在を知る事が出来、完全無農薬から低農薬というようなものまで、通常の農産物よりはやや高額と言うイメージはあるものの、食の安全を唱える消費者にとっては、非常にありがたい物になっているのが現状でしょう。

しかし、リンゴに関してはそう簡単な話ではないようなのです。

2014年の今現在ですら、リンゴを無農薬栽培する事は不可能だという専門家は少なくないようです。

その位、現実のリンゴ栽培を知る人にとっては、無農薬というのは常識以前の問題なのだそうです。

これは、農家でない人には理解しにくい話でしょう。

確かに現代農業は、深く農薬に依存している。

ほとんどの作物栽培に農薬が使われている訳で、無農薬の方が極めて少数派だと言う事は誰でもが知る所です。

けれどそれはあくまで依存の問題であって、農薬を使わなければ栽培できないと言う話ではなく、見かけは悪くても野菜や果物を無農薬で作る農家はたくさんある。

そもそも昔は農薬なんて物はこの世に存在しなかったわけですから。

江戸時代の農家は、除草剤も殺虫剤も使わずに稲を育て、野菜を作っていた。

それが、農作業の手間を省く為なのか、あるいは見かけを良くする為なのか、あるいは収獲量を増やしたいが為なのか、その後に開発される農薬にどっぷりと依存する事になっていく訳です。

同じ作物の農薬への依存度は、農作物の種類によってかなり違うらしいのです。

その中でリンゴと言うのは、農薬を使わなければ病害虫の被害によって、収獲量は90%以上ダウンするであろうと言われています。

リンゴの歴史は実は相当古く、4千年前のヨーロッパ先住民の遺跡からもリンゴが発掘されていて、ローマ帝国でもギリシャの都市国家でも、古代エジプトでもリンゴは良く知られた果物だったそうです。

しかし、現在私達が食べているリンゴと、当時のリンゴとは大分違うらしい。

もっともこれはリンゴに限った話ではなく、我々が食している穀物や野菜、そして果物のすべてが、気の遠くなるような年月をかけて人が改良した植物だと言っても過言ではないでしょう。

それは、農薬の無い時代に害虫などと闘う為の試行錯誤が、結果として品種の改良と言う形になっていったのかもしれません。

いずれにしても今我々が食べているリンゴと言うのは、数々の品種改良をへて、現代の農薬依存型栽培に適した品種として改良された物であると言えるのです。

そんなリンゴを、完全無農薬で作ろうと木村さんは決めたのでした。

なぜか?

それは、奥さんが農薬に過敏な体質で、農薬散布の後には決まって具合が悪くなったりしていたので、農薬に依存しないトウモロコシや米や野菜だけで生計を立てられないものかと悩んだそうです。

1年に何回も、何百と言う数のリンゴの木に、葉が真っ白になる位の農薬を散布するのだそうです。

「農薬は農協から表彰を受ける程使っていたよ。 あの時代の農薬は、使っている人間の皮膚の事なんか考えていなかったのな。 とにかくリンゴの生産が第一だからさ。ニコチンって呼ばれている農薬がありました。 吐き気がする様な匂がするんだけど、それを散布して畑で倒れたとかな、あの頃はそう言う類の話をよくきいたよ。」

「だって私は物ごころつく頃から親達がそうやってリンゴを作ってきたのを見ていた訳だ。農薬で火傷するくらいなんともないとな。こんなの当たり前だと思っていたの。 ただ、美千子が農薬に弱いみたいで、農薬散布すると寝込んだりしていました。それは何とかしないといけないと思った。 トウモロコシでちゃんと収入が得られるようになれば、リンゴは作らなくても良くなるから。」

しかしそんなある日、本屋で本を買おうとした時、本棚の高い場所にあった目的の本を取ろうとした時、偶然となりの本が地面に落ちて破損してしまう。

申し訳ないと言う事でしぶしぶ購入した本が、福岡正信と言う人が書いた自然農法と言う本だったのです。

何となく興味を持った木村さんは、その本を擦り切れるほど読んだそうです。

福岡正信と言う人は、農業家と言うよりはむしろ思想家と呼ぶべき人物で、人間の知恵を否定し、人為的な営みの全ては無用だと唱えていたそうです。

自然はそれ自体で完結したシステムだ。 人が手助けなどしなくても、草木は葉を繁らせ、花を咲かせ、種を実らせる。 そのシステムに手を加え、人間の都合のいい結果を得ようとする人の営みが、つまり農業だと福岡氏は言う。

肥料を与えれば、より大きな実をつける。 害虫を殺せば、より沢山の作物が収穫できる。 人間は例えばそういうふうに考える。 そして肥料の与え方に工夫を凝らし、害虫駆除の方法を発達させてきた。 その積み重ねの結果として、農産物は自然の産物というよりも、ある種の石油製品になってしまった。 現代の農業は、大量の化学肥料や農薬を投入し、農業機械を使わなければ成り立たなくなっている。 化石燃料が枯渇したら、いったいどうなるだろう。 それは人間の知恵や営みが、単に無駄であると言うだけでなく、有害なものですらある事のきわめて明白な実例であるとも福岡氏は言う。

この事は、きっと多くの人達も常に自問自答を繰り返している問題なのではないでしょうか。

と同時に、石油製品であろうとなかろうと、現代の農業が膨大な地球の人口を支える食料を生産していると言う事実と、その恩恵をさずかる一人としての自分もいる・・・・・

木村さんはその本を読んでいくうちに、農薬が無ければ病気や害虫からリンゴを守る事は出来ないと信じていたが、本当にそうなのだろうか・・・・そう思うようになるのです。

木村さんには4つのリンゴ畑がありました。

その内の1箇所だけを無農薬にする事から始めたのですが、月日が経つにつれ、悲惨な光景を目の当たりにする事になります。

葉と言う葉は全て害虫に食べられ、木は病気に侵されていきます。

数年経つと、リンゴの木には一つのリンゴも付かなくなってしまったのです。

しかもリンゴの木はどんどん弱っていくのでした。

農薬の代わりに、ありとあらゆる食品を液状にして散布するのですが、どれもまったく効果はありません。

近隣のリンゴ農家は今まで通りの豊作で、皆とても裕福な生活をしていたそうです。

木村さんには小学生を筆頭に3人の娘さんがいて、奥様とその両親の合計7人の家族がリンゴで生計を立てていたのですが、どんどん生活は貧しくなっていくのでした。

2年3年と色々試してみたものの、まったく好転するどころか、リンゴの木は益々枯れ果てていくのでした。

毎日行う事と言えば、草刈りと手で虫を取る事、そして様々な食品を散布しては様子を見るということでした。

しかしこれでは経過を見るのに年数が掛かり過ぎてしまう・・・・そう思った木村さんは、ついに全てのリンゴの木に農薬を散布する事をやめてしまうのです。

このままいけば、家族は路頭に迷ってしまうかもしれない・・・・・

徐々に自信も気力も失い果てていきそうになる・・・・

農薬をやめてから3年も経つと畑には病気が蔓延し、害虫が異常発生していた。

農薬を使わない限り、その先に待っているのは、リンゴ畑の壊滅という結論しかあり得ない。

と言うのも、木村さんが行ってきた事は、すでに100年以上も前の先人達が経験してきた事であった。

はっきり言ってしまえば、食品を散布した位で対処できるなら誰も苦労はしない。

明治20年代から約30年間にわたって、全国の何千人と言うリンゴ農家や農業技術者が木村さんと同じ問題に直面し、同じような工夫を重ね続けていた。

何十年と言う苦労の末に、ようやくたどり着いた解決法がなんと農薬だったのです。

木村さんはその結論を、たった一人で覆そうとしたのでした。

自分の能力を過信していたのかもしれない・・・・地獄への道を駆け足した・・・・と木村さんは言います。

この時の木村さんの行動は、日本のリンゴ栽培の歴史を逆回しにして、破綻への道を突き進んでいたのです。

そしてとうとう全てのリンゴの木から一つのリンゴも採れなくなり、木村家は貧乏のどん底に落ちる事になります。

電気も水道も何度も止めら、健康保険料が払えなくて保険証も取り上げられた。

子供のPTA会費も払えず、娘達は穴のあいた靴下と短くなった鉛筆をセロハンテープでつないだものを持って学校へ通っていた。

税金の滞納が続いて、リンゴの木に赤紙が貼られた事も一度や2度ではなく、その度に必死で金をかき集めて競売をなんとか取り下げてもらっていた。

もはや売るものもなく、金を借りるあてもなく、万策尽きはてたと言ってもいいかもしれない。

ご近所の農家からは冷たい目で見られ、農薬さえ使えば何の問題もないのに・・・・そうアドバイスされても、けして木村さんは首を縦に振る事は無かったと言います。

周りは裕福であった事から、子供たちがいかに辛い目にあっているかは当然解っていた事でしょう。

子供達だけではありません。

定年したご両親も、退職金は全て使い果たし、それでも皆で内職をするなどして、木村さんの後押しをしたのでした。

木村さん自身も冬になると東京へ出稼ぎをし、そのわずかながらの収入で家族は何とか生計を立てていました。

木村さんはリンゴ畑の一角に、米や野菜を植えていました。

売りに行くほどは作れないのですが、家族が食べていく程度の物はすべて無農薬で栽培していたのです。

木村さんにとっては、米や野菜などの無農薬は、行ってみれば思っていたほどの高度な技術を必要とするものではないという確信を掴んでいました。

それだけに、ならばリンゴも出来ないはずはないのだという信念になり、それがある意味最大の障害となり、無農薬を断念する気にはならなかったのかもしれません。

無農薬開始から4年の歳月が過ぎ、5年目に入ってもリンゴ畑の状態は悪化するばかりでした。

「無農薬では無理だと言う事はもう解っただろう、いい加減目を覚ませ。 少しは奥さんや子供達の事を考えたらどうだ」

多くの友人が激しい口調で忠告するのでした。

友人であれご近所の農家であれ、皆木村家の事を思えばこその忠告である。

理由はさておいても、自業自得である事に違いは無い。

家族を守るべき家長が、一家を貧窮に追い込んでいるのは事実なのだ。

木村さんの毎日の努力は、みんな見て知っていた。

自宅から畑までは歩いて2時間かかる。

それを毎日通い詰め、朝から晩まで畑にいて草を刈り、虫を取っているのを誰もが知っていた。

しかしもうここまで来ると、「あいつは頭がおかしくなった」そう思われても仕方がなかった。

何とか家族の食を支えていた米も、結局水田を手放す事になり、いよいよ米すら満足に食べられなくなってしまった。

木村さんは眠れぬ夜が続き、「もう諦めろ」と言う声が頭の中で響く。

自分は意地になっているだけなのではないか?

これは単なる自分のわがままなのではないか?

自分はいったい何をしているのか、何の為にこんな事を続けているのか・・・・そう考えるようになる。

そして思うのでした・・・・万策尽きたと・・・

尻の底から、痺れるような焦りが湧きあがってくる・・・

答えはすでに出ている・・・自分はリンゴの無農薬栽培に失敗したのだ。

何よりの証拠に、リンゴの木は枯れようとしている。

一刻も早く農薬を使ってやるべきなのだ・・・・

全てのリンゴ畑を無農薬にしてから6年目、1985年の夏、とうとう木村さんは死を選ぶ事になるのでした。

自分が死ねば、このすべてを終わらせる事が出来る。

やるべきことはすべてやったのだ。 これ以上すべきことは何もない・・・・

木村さんは納屋でロープを作り、夜になってから山に登って首をつろうと覚悟すると、一目散に山へ駆け上がり、ロープをかける木を選ぼうとしていた。

がその時、奇跡とも思えるような体験が木村さんに起こるのでした。

それは、ロープをかけようとしていた木を探している時、偶然リンゴの木を見つけるのです。

そのリンゴの木は、葉が一枚一枚満月の光に照らされて輝いていました。

思わず見とれてしまうほど、美しいリンゴの木でした。

条件反射のように、誰が農薬をまいているのだろうと思い、あれがリンゴの木である以上、農薬をかけなければあんなに健康な葉を付けていられるはずが無い・・・・

そこまで考えて、木村さんは脳天を稲妻に貫かれたような気がするのです。

良く見るとそれは、リンゴの木ではなくドングリの木でした。

夢中でポケットを探り、マッチに火をつけて葉にかざしたが、思った通り害虫の姿は無かった。

6年の間、探し続けた答えが目の前に合った。

ドングリの木だけではない・・・森の木々は、農薬など必要としていないのだ。

「これだこれだ、これが答えだとな。 あの日山中で、踊りだしたい気分であったな。 ほんとにバカだからさ、自分が何の為に山を登ってきたかも忘れて、ロープの事なんかすっかり忘れてよ、今度は駆け足で山を下りた訳だ。 一刻も早く自分の畑の状態を見て、何をするか考えたかったからよ。」

「やっぱり土が違うんだとな。 その土の姿を写そうと思って、紙と鉛筆をもっていったんだけど、上手く画けなくてな。 ナイロンの袋に土を掘って背負って帰ってきました。 あのツンとする臭いが飛ばないように、口をしっかり縛ってな。それでまた自分の畑に帰って、土を掘って比較するわけだ。 私の畑の土は、あの匂いもしないし、やっぱり硬かった。 草を抜いても、途中で根がぶちっと切れてしまう位だったな。 リンゴの根は、惨めなもんだった。 太さもハリもないし、なんだか黒ずんでいる感じで、根の白さが無いんだよ。 ドングリは雑草だらけの中で、あれだけの根を張っていた。 坊主頭みたいに雑草を丁寧に刈り込んだ私の畑のリンゴの根っこはこのありさまだ。 雑草は敵だってずっと思いこんでいた。 雑草を刈るのはリンゴのためだってな。 だけど、雑草をいくら刈ってもリンゴの木は元気にならない。 というか、雑草を刈っていたから駄目だったのな。」

「実を言うと、雑草のことでは前に親父と言い争った事があるんだ。 親父は、雑草を抜くなと言ったの。 南方の島で、雑草のある所で作物が良く育つという経験をしていたんだな。 私はその話が信じられなかった。 南の島と青森では違うんだとな。 それじゃなくても、リンゴの木は弱っていたわけだ。 雑草なんか生やしていたら、養分を奪われてもっと弱ってしまうと思ったのさ。 だけど、親父の言うとおりだった。 雑草が土を耕していてくれたんだな。 雑草は雑草で、役割を果たしていたわけだ。 私には親父に見えていたものが見えていなかった。 視野がもの凄く狭くなっていたんだな。 針の目から、リンゴの木を覗いていたようなもんだな。 木を見て、森を見ず。 私はリンゴの木しか見ていなかったのな。 リンゴの木はリンゴの木だけで生きている訳ではない。 周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。 人間もそうなんだよ。 人間はその事を忘れてしまって、自分ひとりで生きていると思っている。 そしていつか自分が栽培している作物も、そういうもんだと思い込むようになったんだな。 農薬を使う一番の問題は、ほんとうはそこのところにあるんだよ。 農薬をまくと言う事は、リンゴの木を周りの自然から切り離して育てると言う事なんだ。 山の土が温かいのは、微生物がたくさんいて、活発に活動しているからだ。 だから深く掘っても温度は一定だった。 畑の土が10センチ単位で温度が低くなるのは、土中の微生物の働きが弱っているということだな。 その証拠に、いろんな場所の土を掘って調べてわかったんだけど、畑でない場所でも、畑に近い所では同じだった。 深い所ほど温度が低くなっている。 農薬の影響で、土の中の生態系が変化してしまったんだろうな。 私の畑も同じだった。 おそらく、土中に棲息する微生物の量が、山の土に比べたらずっと少なかったんだと思う。 あの時で農薬散布をやめてから6年たったけど、その前はずっと農薬をまいていたから、生態系が壊れていたんだと思うのな。 おまけにいつも草刈りをしていたから、生態系を回復する事が出来なかった。 生態系は無数の生き物の活動によって生み出されるものだからな。それでとにかくリンゴの木の根を丈夫にするには、山の土を再現するしかないと思って、雑草をはやしてみる事にしたの。 山の柔らかな土、微生物が豊富で、深く掘っても温度が変わらない土の中で、根っこは育つんだとわかったからな。 畑の草は刈り込んでしまっていたから、季節外れだったけど、雑草の代わりに大豆を播きました。 クズ大豆を安く買ってきてな。」

「農薬を使わなくなってわかったことがあるのな。 農薬を使っていると、リンゴの木が病気や虫と戦う力を衰えさせてしまうのさ。楽するからいけないんだと思う。 車にばっかりのってると、足腰が弱くなるでしょう。 同じ事が起きる訳。 それでな、リンゴの木だけじゃなくて、農薬を使っている人間まで病気や虫に弱くなるんだよ。 病気や虫の事がよくわからなくなってしまうの。 農薬さえ撒けばいいから、病気や虫をちゃんと見る必要が無くなる訳だ。 人の事を言っているんじゃなく、この私がそうだった。」


本当に凄い人がいるものだと思いました。

努力などと言う言葉だけでは表せない程の忍耐や苦悩と戦ってこられたのだろうと思うと、目頭を熱くさせずには居られませんでした。

これはドラマではないのですから・・・・

人間の生き様としては、あまりに凄過ぎて感動すら憶えません。

そして、もしかしたらこのような人だからこそ、神がおりてきたかのような瞬間があったのかもしれませんよね。

かくして木村さんは、新たな無農薬栽培へのきっかけをもらうこととなり、その後の様々な方策により、とうとう一本のリンゴの木に花を咲かせる事が出来たのです。

全ての畑で農薬をまくのをやめてから8年目の春でした。

畑に咲いた七つの花。

その七つのうち二つが実をつけた。

収穫できたリンゴはたったの二つだ。

そのリンゴは神棚に上げて、それから家族全員で食べた。

驚くほど美味しかった。 こんなリンゴを食べたのは初めてだと思った。

木村さんの長い苦闘が、ようやく終わろうとしていたのでした。

そして翌年、ついに苦労が報われる時がやってきたのです。

「なんか、まともに見られないのな。 見ると言うよりも、ほんとにその小屋から覗くと言う感じであったな。 自分でも自信はあったんだよ。 その前の年に、七個だけど花が咲くのを見たわけだ。 春先の蕾の状態も見ていたし、今年こそはちゃんと咲いてくれるんじゃないかと思ってはいた。 期待はしていたけど、その一方でさ、リンゴの木はまだ私の事許してくれていないんじゃないかって、心のどこかで思っていたの。 まあ何年も花を見ていなかったから、花が咲かない方が当たり前になっていたんだな。 だけど、どう見ても自分の畑なのさ。 全部の木に、花が咲いていた。 ほんとにもう、ただただあの時は嬉しかった。 あの頃を思い出す時、今でも涙が出て来る。 もう二十年も昔の事なのによ。家に帰って、親父とお袋に報告したら、朝のうちに見に行って花が咲いたの知っていたのな。 あはは、知らなかったのは私と美千子だけだった。 でさ、午後になって又一人で見に行った。 あの日は何回見に言ったかわからないな。 夕方、祝いをしようと思って、お酒を持って行って、リンゴの木の一本一本にふるまいました。 木の根元に、ちょっとずつかけてまわったの。 ありがとう、よく花を咲かせてくれたって。 うん、私も飲んだよ。 あははは、私が飲んだ方が多かったな。 だけど、あんな気持ちのいい花見は、後にも先にもなかった。 お酒を飲んで、リンゴの木の下に寝て、ずっと花を見上げていたよ。 リンゴの花はなんと綺麗なものだと思った。 桜に似ているけど、リンゴの花は上を向いて咲くのな。 桜の花は下を向いて、花見をする人の方を見て咲くでしょ。 リンゴは人間を気にもしてないの、上を向いて咲くんだよ。 ちょっと威張っているのな。」

「人間に出来る事なんて、そんな大したことじゃないんだよ。 みんなは、木村は良く頑張ったって言うけどさ、私じゃない、リンゴの木が頑張ったんだよ。 これは謙遜なんかではないよ。 本気でそう思っているの。 だってさ、人間はどんなに頑張っても、自分ではリンゴの花のひとつも咲かせる事が出来ないんだよ。 手の先にだって、足の先にだって、リンゴの花はさかせられないのよ。 そんな事は当たり前だって思うかもしれない。 そう思う人は、その事の本当の意味をわかっていないのな。 畑を埋め尽くした満開の花を見て、わたしはつくづくその事を思い知ったの。 この花を咲かせたのは私ではない。 リンゴの木なんだとな。 主人公は人間じゃなくてリンゴの木なんだってことが、骨身にしみて解った。 それが解らなかったんだよ。 自分がりんごを作っていると思いこんでいたの。 自分がリンゴの木を管理しているんだとな。 私に出来る事は、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。 失敗に失敗を積み重ねて、ようやくその事が解ったの。 それが解るまで、本当に長い時間がかかったな」

ちなみに、木村さんはリンゴの木に農薬をまかないだけではありません。

化学肥料であれ、有機肥料であれ、リンゴの木に余分な栄養は与えないのです。

それは、肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなる。

しかし、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られる為に、地中に深く根を張り巡らせなくてもいいと言う事になる。

運動もろくにしないのに、食べ物ばかり豊富に与えられる子供のようなものだというのです。

「自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。 それが農業の本当の姿なんだよ。 そうあるべき農業の姿だな。 今の農業は、残念ながらその姿からはずれているよ。 と言うことはさ、いつまでもこのやりかたを続ける事はできないということだよ。 昔は私も大規模農法に憧れたけど、その大規模農法地帯はどんどん砂漠化している訳だからな。 アメリカの穀倉地帯も、昔のソ連の集団農場も、今どうなっているか見たらすぐ解る。 どんなに科学が進んでも、人間は自然から離れて生きていく事は出来ないんだよ。 だって人間そのものが、自然の産物なんだからな。 自分は自然の手伝いなんだって、人間が心から思えるかどうか。 人間の未来はそこにかかっていると私は思う。 けして大袈裟でも何でもなくな。 私に出来るのは、リンゴの木の手伝いをすることだけだ。 たいしたことができるわけしゃない。 だけどそれは人間の将来にとって、きっとためになることだって。 これは少々大袈裟だけどもな、でも心の底からそう思うようになったんだ」

 
私自身も、世の中の定説となってしまっているような、いわゆる決まりごとのようなものには、従いたくない性格ではあります。

一般的には定説とか、基本とか、常識とか言われているようなものの中にも、それは本当にそうか? と思えるような事はたくさんあります。

別にそれを根掘り葉掘り調べ上げて、何かを楽しもうと言うのではないのです。

ただ、何も考えずに、何の疑問も持たないまま従うと言う気にはどうしてもなれないのでした。

かと言って、それは誰にどう発信していくというようなものではなく、あくまで自分個人としてはそう考えると言う程度のものでしかありませんでした。

農薬が身体に無害だとは誰も思ってはい無いと思います。

だからこそ無農薬の物しか食べないと言う人がいるのであり、一方では害があるとは思っていても、残留していないのであれば構わないと思って、またそう信じて、一般に売られている作物を購入しているのだと思うのです。

出来る事なら少しでも安全な方が良い・・・・それはそうに違いない。

そして安心して食べられる作物が、出来るだけ低価格ならうれしい・・・・それもそうに違いない。

しかし、そんな私たち消費者の曖昧な考え方が、今の農薬依存の農業を増長させ、野放しにしてきたのも事実でしょう。

それは、けしてこの国の農業の将来であるとか、自然との共生であるとか、そんなことまで考えながら作物を購入していた訳ではないはずだからです。

木村さんは現在も、ありとあらゆる場所へ出向いては講演を行って、独自のノウハウを惜しげもなく披露しているそうです。

またご自分のリンゴも、けして値段を上げようとはしません。

無農薬栽培は、どうしても収獲量が少なくなる。 

だから割高で販売される事が多いのだが、そうやって無農薬の作物が、ある種の贅沢品のようになってしまうことが、無農薬が広まらない原因なのだと木村さんは言います。

私達は、自らの健康を考えて、安心・安全な食べものを求めます。

無農薬の作物が安く多く出回れば、より食の安全は守られる事になるでしょう。

木村さんのような人が無農薬を提唱することによって、より多くの農家が無農薬に挑戦してくれる事と思います。

その功績は、計りしれないほど偉大である事は間違いありません。

数日前、ビデオのレンタルショップに行って初めて、木村さんの記録が映画になっていた事を知りました。

それくらい奇跡だと言われるような事を、木村さんはやってのけたのです。

様々な農業研究者の方が、木村さんの畑を調査し、なぜ不可能と言われたリンゴの無農薬化が成功しているのかを分析する事により、科学的にも大いに貢献することになるでしょう。

今までにも、実にたくさんの素晴らしい人の本を読ませていただきました。

しかし、時には有名になり過ぎて、その後の道を誤ってしまう人も多かったような気がします。

あまりマスコミに取り上げて欲しくないなというのが本音ではありますが、そうはいかないのが世の常でしょう。

が、そんな入らぬ心配が当てはまるような、にわか仕込みの努力や才能では、神は宿らないと私は思います。

木村さんのような、心の底から生きとし生ける全ての生命と向き合おうとしている人にのみ、神は舞い降りるのだと・・・・

木村さんに舞い降りたのは、神と言うよりも、木の妖精だったのかもしれませんけど・・・・


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