ベーカリーアドバイザーの部屋

難解な製パン理論を、楽しく解説。 どうして??と思ったらのぞいてみて下さい

格差・不公平・不平等を作り出しているのは誰だ!

2015年8月・・・・・尋常ではない暑さ・・・・・

そんな中でも外で働いている人がいる・・・・・

良く倒れないものだと感心しながらも、皆が皆好きでこの暑い中外で働いている訳ではないのだろうなと考えたりする。

オーブンをしょって仕事をしているという点では、パン屋も似たかよったかの仕事だとは思うが、さすがに炎天下に外で陽にあたるよりはましだと思う。

パンを作る事意外に能のない私は、役場や銀行や図書館などに行くにつけ、この仕事なら私にもできるかな??なんて考えたりする事が多いのだが、だからといって転職する事は難しいだろう。

皆若いうちからその道をある程度は目指して勉強し、そして必要な資格をとったり、必要な経験を経てその仕事につくからである。

公務員を目指して勉強していた奴というのが確かにクラスにいた。

しかし私のその頃は、おおむねスケベな事で頭がいっぱいで、他には何も具体的には考えてはいなかった。

何事も先々を考えて段取り良く計画する・・・・・今なら充分理解出来るのだが、少々というか大分遅かった・・・・

誰しもが自分にあった仕事に付きたいと思うものであろうが、そのようにして段取りを組んで望まない限りは、残り物のきつい仕事につく事になるものである。

何をしてきついと言うのかは、それぞれ判断の分かれるところだとは思うが、解りやすく言えば真冬の新聞配達は誰にでも出来る仕事ではないだろうと思う。

今の季節に言うとピンとこないと思うが、早朝と言うか夜中からの仕事であり、バイクで全身が凍えるあの仕事は、普通の人がやったら恐らく何日ももたないだろう。

真夏の道路誘導員も、普通の人がやったらまず入院だと思う。

そのような過酷な仕事というのは、大抵の場合アルバイトだったりする。

他方、夏は涼しく冬は温かで、比較的能力を必要としない時間から時間までの仕事をしている人というのは大抵社員である。

パン屋と言うのもたくさんのアルバイトを雇用する職種の一つと言えるが、そもそもが同じような作業内容なのに対して、どうして収入があんなにも違わなければならないのであろうか?

へたをすると、パートとかアルバイトの人の方が能力の高い場合もあるし、手際もよく大変助かっているという現場は多いのではないだろうか。

な・・の・・に・・・社員かパートアルバイトかの違いだけで、給与は2~3倍も違ってくる。

アルバイトと言うのは・・・・パートタイマーと言うのは・・・・・と、なぜその様な雇用形態が存在しているのかと言うことは、大方の人なら知ってはいよう。

しかし、もし現在自分が社員からアルバイトにならなければならない状況に置かれたとしたら、素直に納得して今まで通り働けるものだろうか。

やる気も実力も全て今まで通りなのに、何故か収入だけがガクンと落ちるのだから、たまったものではないと思う事だろう。

その様に私達は、不平等ではないかと思ってはいながらも、とりあえずこちら側にいる事で、何となく見て見ぬふりをしている事がある。

そして、あちら側に行かなければならなくなった時に愕然とするのである。

比較的大手に勤めてきて、結構な年齢でリストラにあった人はまさにそんな心境なのではないだろうか。

大手○○社で3000人をリストラ・・・・みたいなニュースを良く見るが、本人達にしてみれば人生最大の危機なのに対して、報道する側も見ている私達も、そうなんだ~程度の事で終わってしまう。

人の生き死にに直接影響するような一大事が起こっているにもかかわらず、その日だけのニュースで終わってしまうのである。

そのようにいかなる場合も当事者と、その家族や関係者以外の人には他人事なのであり、どうしてあげる事も出来ない、いわゆる仕方のない事として受け流されて行くのが現実であろう。

今日の自分が今まで通りの待遇で、そして大きな病気や怪我もなく、出勤して行ける有難さと言うのは、充分過ぎる位の幸福な環境なのであると感じてならない。

その反面、今の待遇や環境には少しも幸せを感じる事が出来ないでいる人達が多いと言う事を知っていながら、とりあえず自分にはどうする事も出来ないからと知らぬふりを決め込んでいる自分に、こんな人間で、こんな父親でいいのかと考えてしまう部分もある。

なぜなら、人は目の前で人が倒れたとしたら、迷わず駆け寄って何か行動を起こそうとするもので、その時のとっさの感情こそが人間本来の優しさだと思うからだ。

それは、倒れた人が大人であれ子供であれ、女性であれ男性であれ、分け隔てることなく弱者に対して取る人間的な行動だと言えるのではないだろうか。

明らかに法に触れるような事をしている人を正すと言う事は誰にでも出来る。

善悪がはっきりしているからだ。

しかし、不公平とか不平等とかは法に触れている訳ではないので、そう簡単には一個人ではどうしようもない。

例えば、先にあげた真夏の交通誘導員のような仕事をしている人には、その時期だけ手当が出るとか、労働時間が長い職場やきつい仕事に対しては手当てを出すとかということなら、恐らく誰もが賛成するに違いない。

人が嫌がるような仕事をする人が少し裕福になり、なり手が増えると言う事は納得出来るし理解されるだろう。

かと言って、楽な仕事や特別必要のない役職などを見直したり、天下りを徹底排除したりと言うような事には、全精力を上げて邪魔が入る事になる。

この議論になると、途端に人は醜さをあらわにして自らを守ろうとする。

最も始末に負えないのが、とっさに倒れた人を助けようとするのも、この自らを守ろうとするのも、実は同じ人間である事が多いと言う事だ。

つまり、人間の優しい部分や清らかな部分と、ある意味自己中心的な醜い部分が共存しているのが人間と言う生き物の面倒な所なのかもしれない。

毎日の仕事や生活の中で、人の醜さを見るにつけ、とても嫌な気持ちになる。

と同時に、優しさに触れた時には、とても穏やかな気持ちになれる。

不公平とか不平等と言うものに対して今の自分にできることがあるとすれば、それは分け与え合う気持ちを持つ事ではないかと思っている。

自分がもし恵まれていると感じるのであれば、恵まれていないと思われる人に分け与えれば良いと思う。

方法は色々あると思うが、寄付もボランティアもまさに優しい気持ちのお裾分けであろう。

私の尊敬する人達というのは、けしていい車には乗っていない。

そして旅行へ行ったり豪華な家に住む事もない。

今の生活で充分幸せで、この平凡な生活を送れない人がいることをいつも考えて生きている。

そんな、恐らくかなりの少人数であろうそのような素晴らしい人達の力によって、少なからず生きながらえている人達がいることを忘れてはならないと思う。

終戦のこの時期になると、どうしても人間の醜さと言うものを考えてしまう。

格差や不公平にとどまらず、人を殺し地球を破壊しようとするのも、そこに住んでいる人間であるという事実。

人間の底しれぬ残虐性が現れてしまう戦争に対して、テレビのインタビューで若者が別になったらなったで仕方が無いと言っていたのが印象的だった。

それほどまでに、あちら側とこちら側にいる人間の認識と言うか感情と言うのは、違ってきてしまうのだと言う事をまざまざと感じた。

人生には4つの苦しみがあるという。

それは、生老病死と言って、生きる事・老いる事・病にかかること・そして死ぬ事なのだと言う。

ピンと来るような来ないような言葉ではあるが、要するに生きると言うことそのものが、すなわち苦しみなのだということなのだろう。

そんな苦しい人生でも、夢と希望を持って、毎日を少しでも明るく楽しく生きよう・・・・そう思える環境にいる事自体、極めて幸せな事なのだと私は思う。

今いる環境・・・・つまり、どこの地に生まれて誰のもとで育ったかと言う事は、人生を生きていく上においてとても重要だろう。

ある程度裕福な家庭の先進国に生まれれば、幸せな人生を送れる確率はかなり高確率だと言える。

しかし、貧しい国の貧しい家庭で育ったのだとしたら、その後の人生を歩めるのかさえ不確定だと言えるだろう。

もはや、頑張るとか生きがいを持ってとか言えるような環境ではないところで暮らしている人というのが意外にも多いということは、あまり知られてはいないと思う。

この地球上には現在約72億7千万人の人が住んでいる。

ご存知であろう我が国の人口は1億2700万人だが、なんとお隣中国には13億5千万人、インドには12億1千万人も暮らしている。

イメージとしてはアメリカ大国が多そうだが、アメリカは3億人程度しかいないのだから、中国とインドの多さは飛びぬけている。

日本では子供が少なくて老人が長生きになって来ているので、ここの所人口はどんどん減少しているが、世界全体を見ると毎年6千万人亡くなり、1億3千万人生まれているそうだ。

人口はこのままどんどん増え続け、2050年には91億人になると推計されている。

人が増えれば食べものが必要になり、自然環境は人の生活により破壊されて行く。

川も海も汚れていく一方で、いつまで魚が食べられるか解らず、森や表土も減る一方で、温暖化はいつまで経っても解消できないだろう。

豊かな国で暮らす人が、より豊かさを求めるが故に自然が脅かされて行っているような気がしてならない。

こんなデータがある。

全世界にいる20%の人が全世界の富の89%を手にしている。

全世界の25%の人が標準以下の住宅に住んでいる。

全世界の17%の人は文字を読めない。

全世界の13%の人が栄養失調に苦しんでいる。

もし、あなたが一度も戦いの危険、投獄の孤独、拷問の苦しみ、飢餓の苦痛を経験したことがないなら、あなたは世界中の5億人より恵まれている。

もし、あなたが弾圧、逮捕、拷問、死の危険なく教会の集会に出席できるなら、あなたは世界の30億人より恵まれている。

もし、あなたに冷蔵庫内の食物と、着る服と、頭上の屋根と、眠るところがあるなら、あなたは世界の75%より豊かである。

もし、あなたが銀行と財布に金があり、どこかの鉢に予備の小銭が入っているなら、あなたは世界の富豪の上位8%に入っている。

日本と言う国に生まれ、仕事が出来ていると言う時点で、どれほど恵まれた環境にいるのかを知る事が出来る。

と同時に、恵まれた人達が私利私欲のために生きるのではなく、同じ地球上で生かされている者同士として、恵まれない環境に生きている人がいる現実を知り、少しでも平等に近づく為の行動が出来るか否かによって、人類のこれからは大きく違ってくるのではないかと思えてならない。

意欲とか向上心とか競争心とか、何かと仕事では必要なキーワードであるが、ややもするとそれらがエスカレートして、人が人を傷つけてしまう事になる。

贅沢とか成長とか発展とかをしばしさておいて、自分がもし恵まれない環境に育っていたとしたら・・・・難民と呼ばれている人達の中に生まれていたら・・・・今何が一番必要だと感じているだろう・・・・・そんなことに思いをはせてみる優しさが、私達には必要なのではないだろうか。

戦争と言う人も環境も全てを破壊してしまうような恐ろしい事を実行出来るのも人間なら、全人類と地球の共存を考えられるのもまた人間しかいないと思う。

戦争と殺戮を繰り返してきたのが人類の歴史であると学者は言う。

しかし所詮人を殺し環境を破壊し、どれだけ自分達だけが裕福になったとしても、人間にも地球にも寿命はある。

頭の良い人達なら解りそうな事だが、そこに感情と言うものが入ると突然低レベルの争いになってしまうのだろうか。

核を持たない国、戦争をしない国日本が今大きく変わろうとしている。

核も銃もすべてこの世からせ~ので捨ててしまえば良いと思うのだが、震災で逃げ惑う人の家に忍び込むバカ者もいる位、人間と言うのは愚かな生き物であるがゆえに、どうしても保身の為とか抑止力などといって捨てる事が出来ない。

この上は、本当にウルトラマンとかスーパーマンとか仮面ライダーとかスパイダーマンを開発してもらって、国連にはウルトラマンとスーパーマンがいて全世界を警備し、それぞれの国の警察には仮面ライダーとスパイダーマンがいて、犯罪を食い止めると言う事では駄目だろうか。

そうしないと、いつか複数の核によって地球は亡くなってしまうような気がする。

結論、

格差・不公平・不平等を作りだしているのは、自分の考えは正しいと、世界の悲しい現実には目を向けずに、己の欲望を満たそうとする自己中心的な思想観念をもつ人間達ではないだろうか。

生かされている事に感謝するのではなく、生きてやっていると勘違いしているような輩である。

そう考えると、ゲゲゲの鬼太郎も必要か???

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