ベーカリーアドバイザーの部屋

難解な製パン理論を、楽しく解説。 どうして??と思ったらのぞいてみて下さい

ご自分のパンに最適な油脂とは・・・・

たま~にいただく質問の中に、どんな油脂を選択するべきかという内容の物がありました。

私としては、その様な基本的なものは、すでに書いてきたつもり・・・だったのですが、よ~く見てみるとどこにも書いていないではありませんか?

考えてみれば、質問を下さる方と言うのは、ほぼ全てを確認した後、書かれていないので質問をして下さる訳で、書いたつもりでいた・・・と言うのは、わたくしのアルチューハイマーの成せる技であったようです。

と言う事で、遅ればせながらではありますが、実際にパン生地に油脂を選択する場合において、考慮すべき点、あるいは向き不向きのようなものをご紹介しておきたいと思います。

・・・・とは言うものの、実際には相当数の種類が存在しておりますゆえ、最終的にはやはり好みの物を使っていただく事になると思いますが、ざっくりとそれぞれの油脂の持つ特徴を書いていきますので、参考にしていただければと思います。

まず、油脂には大きく分けて、バター・マーガリン・ショートニングというものがあるのはご存知ですよね。

この三つのどれかを、または生地に応じてこれらの全てを、使い分けているのがパン屋さんだと思います。

しかしご家庭では、この他にもオリーブオイルやサラダオイルなども使われているでしょう。

出来る事なら、家庭の食卓に常備しているのもが使えたほうが便利ですしね。

パン屋でも、オリーブオイルなどは良く使われたりしますが、それはあくまで特殊なパンに使うのにすぎません。

一般的には、バターかマーガリンかショートニングのどれかを使うのが当たり前のようになっています。

それは何故でしょうか?

他のカテゴリとの重複になる部分もあると思いますが、今一度説明しておきたいと思います。

まず、パン屋さんで多く使われているこれらの油脂というのは、常温または冷蔵保存の状態では固体です。

つまり、塊になっていて液体ではありませんよね。

これらの事を ”油脂 ” と呼んでいるのです。

それに対して、家庭に常備されているオリーブオイルやサラダオイルというのは、常温でも液状になっていますよね。

というよりも、冷蔵庫に入れても固まる事はありませんね。

これらの液体状の油の事を ”油 ”と呼んでいるのです。

この油というのは、綿実油・コーン油・大豆油・サフラワー油などの、いわゆる植物から取った油のことですが、ご存知のようにマーガリンという油脂も、これらと同じ植物油脂で作られているのです。

では、同じ植物油脂であるマーガリンと、綿実油やコーン油などで作られたサラダ油とでは、いったい何が違うと言うのでしょうか?

それはつまり、用途によって作られ方が大きく違うということなのです。

油脂のパン生地における役割を簡単に説明しますと、生地の伸展性が良くなり、生地が傷つきにくくなります。

すると、総合的に作業が行いやすくなりますし、パンの完成度も増す訳です。

さらに、オーブンでは良く伸びて火の通りも良く、出来上がったパンは水分が飛びにくく、老化の遅いパンになるのです。

では、どうしてそうなるのでしょう・・・・

それは、パン生地の中の風船一つ一つに、上手い具合に油分がまとわりついてくれているからであり、そのお陰で風船はお互いが滑り合う事で余計な摩擦を起こすことなく、オーブンの中でも、それぞれの風船が良く滑る事によって、お互いがくっついてしまう事を防ぎ、割れてしまう事も防ぎ、結果、キメ細かい伸びのあるパンになるのです。

また、焼き上がったパンの内層に油脂分がうまく入り込んでいるお陰で、その油脂膜が水分の蒸発を防いでくれているのです。

それがつまり、パンのしっとり感が長持ちする事につながるのであり、パン生地内部では、油脂膜がラップのような役割をしてくれているということになるのです。

このように、風船の一つ一つに上手い具合に油分がまとわりつく為には、ある程度の粘着力のような力が必要になります。

そんな粘着力を持たせた植物油脂が、マーガリンだということになるのです。

そして、その粘着力と言うのは、常温で液体化している油にはない能力であり、まさに製パンを大いに助けてくれるのが、固体であるマーガリンになるのです。

ところが、例えばこのマーガリンを熱を加えて溶かしたとします。

するとどうなるかと言いますと、せっかく持ち合わせた粘着力を失ってしまう事になるのです。

ですので、マーガリンに関わらず、個体の油脂はけして溶かして使ってはいけないと言われているのはこの為なのです。

この事をもう少し具体的に説明しておきましょう。

実際のパン屋さんの現場では、冬場にはマーガリンを溶かして使っている所もあるはずです。

常温に置いておくのを忘れてしまった場合や、ある程度柔らかくなるのを待てない状況の時などは、溶かして使っている現場を何度も見てきました。

だからと言って、その生地がパンにならないかと言えば、別に普通通りにパンになっていました。

家庭でも、レシピにマーガリンとかバターとか書いてあっても、それを冷蔵庫から出して溶かして使っている人は多いと思いますし、それをサラダ油に変えて作っている人もいる事でしょう。

であるならば、別に構わないのではないか???

そう思いたくもなりますよね。

しかしそれは、多くの場合油脂の配合量が少ない場合に限るのです。

つまり、一般的な食パン程度の油脂配合量であるならば、確かにそう大きな違いは見られないでしょう。

問題は、配合量が15%を超えるような場合には、油脂の状態がどうなっているかによって大きく違ったものになってしまうと言う事なのです。

パン屋さんならお解りだと思いますが、ミキシングの途中で液状になった油脂を混ぜていくと、途中から水を加えたかのようにミキサーボールの中がビショビショになりますよね。

これが、仕込み量が少ない場合ならまだしも、10kg近い生地を捏ねている最中に液状の油脂を投入すると言う事は、間違いなく分離を招きます。

それでもそれ以降捏ねていく事で、ある程度普段通りの生地になったかのように見えますが、明らかにコシが無く、油分がにじみ出ているのが解るはずです。

こうなると、最終的にはパンにボリュームは無く、しっとり感に欠けたパンになってしまいます。

つまり、油脂の配合量の多い少ないで、見分けはつきにくいかもしれませんが、溶けてしまったマーガリンをミキシングの途中から加えると言う行為は、確実にパンにダメージを与えているのだと言う事を知って頂きたいのです。

そもそもサラダ油ではなく、マーガリンを使う事の意味と言うものを、パン屋さんはしっかりと解っておかなくてはなりません。

細かく言えば、家庭レベルでも理屈は同じです。

しかし、家庭用のレシピでは、よく油が配合されたものをみかけます。

ですので、最終的には好みの問題なのであり、ご家庭において製パンを難しく考える必要は無いと思います。

また、パン屋さんでどうしても溶けてしまった油脂を使わざるを得ない状況になってしまった場合は、ミキシングの初めから投入して下さい。

そうする事で、分離やコシ抜けには対処出来るはずです。

と言う事で、パンに使う油脂には、味以外にも目的があると言う事がお解りいただけたと思います。

この油脂によるパンへの効果というものを考慮しながら、バター・マーガリン・ショートニングのいずれを選択してゆけば良いのかを考える訳ですが、次に考慮すべき点はフレーバーではないでしょうか。

パンの善し悪しを大きく左右する要素の中で、このフレーバーというのは実に重要でしょう。

パンが焼き上がった時の香りで、幸せを感じる人というのは実に多いと思います。

パンの香りというものは、香りだけではなく、食べた時の味にも影響を与えます。

パンの美味しさを味わうと言う行為は、香りも同時に味わっている事になるのです。

ですから、どの油脂の香りを選ぶのか、どの油脂がこのパンに合っているのかということは、とても大切な要素となるのです。

では、一般的にはどのようにその違いを考えていけば良いのでしょうか?

それぞれの油脂の特徴を見ながら考えていきたいと思います。

・・・・が、最近長くなりがちなので、次回に回します。

スミマセン(~_~;)

本当に凄い人・・・その生きざまに学ぶ

奇跡のリンゴというのをご存知でしょうか?

NHKの番組で紹介され、映画にまでなった現役のリンゴ農家、木村秋則さんの事です。

今では有名になり過ぎて、知らない人はいないと思いますが、改めて木村さんの何が凄いのかを、「絶対不可能を覆した農家・木村秋則の記録」という本を通して紹介しておきたいと思います。

1970年代半ばのこと、木村さんは自らのリンゴの木に、一切の農薬散布を行う事をやめました。

無農薬の農産物というのは、今では誰でもその存在を知る事が出来、完全無農薬から低農薬というようなものまで、通常の農産物よりはやや高額と言うイメージはあるものの、食の安全を唱える消費者にとっては、非常にありがたい物になっているのが現状でしょう。

しかし、リンゴに関してはそう簡単な話ではないようなのです。

2014年の今現在ですら、リンゴを無農薬栽培する事は不可能だという専門家は少なくないようです。

その位、現実のリンゴ栽培を知る人にとっては、無農薬というのは常識以前の問題なのだそうです。

これは、農家でない人には理解しにくい話でしょう。

確かに現代農業は、深く農薬に依存している。

ほとんどの作物栽培に農薬が使われている訳で、無農薬の方が極めて少数派だと言う事は誰でもが知る所です。

けれどそれはあくまで依存の問題であって、農薬を使わなければ栽培できないと言う話ではなく、見かけは悪くても野菜や果物を無農薬で作る農家はたくさんある。

そもそも昔は農薬なんて物はこの世に存在しなかったわけですから。

江戸時代の農家は、除草剤も殺虫剤も使わずに稲を育て、野菜を作っていた。

それが、農作業の手間を省く為なのか、あるいは見かけを良くする為なのか、あるいは収獲量を増やしたいが為なのか、その後に開発される農薬にどっぷりと依存する事になっていく訳です。

同じ作物の農薬への依存度は、農作物の種類によってかなり違うらしいのです。

その中でリンゴと言うのは、農薬を使わなければ病害虫の被害によって、収獲量は90%以上ダウンするであろうと言われています。

リンゴの歴史は実は相当古く、4千年前のヨーロッパ先住民の遺跡からもリンゴが発掘されていて、ローマ帝国でもギリシャの都市国家でも、古代エジプトでもリンゴは良く知られた果物だったそうです。

しかし、現在私達が食べているリンゴと、当時のリンゴとは大分違うらしい。

もっともこれはリンゴに限った話ではなく、我々が食している穀物や野菜、そして果物のすべてが、気の遠くなるような年月をかけて人が改良した植物だと言っても過言ではないでしょう。

それは、農薬の無い時代に害虫などと闘う為の試行錯誤が、結果として品種の改良と言う形になっていったのかもしれません。

いずれにしても今我々が食べているリンゴと言うのは、数々の品種改良をへて、現代の農薬依存型栽培に適した品種として改良された物であると言えるのです。

そんなリンゴを、完全無農薬で作ろうと木村さんは決めたのでした。

なぜか?

それは、奥さんが農薬に過敏な体質で、農薬散布の後には決まって具合が悪くなったりしていたので、農薬に依存しないトウモロコシや米や野菜だけで生計を立てられないものかと悩んだそうです。

1年に何回も、何百と言う数のリンゴの木に、葉が真っ白になる位の農薬を散布するのだそうです。

「農薬は農協から表彰を受ける程使っていたよ。 あの時代の農薬は、使っている人間の皮膚の事なんか考えていなかったのな。 とにかくリンゴの生産が第一だからさ。ニコチンって呼ばれている農薬がありました。 吐き気がする様な匂がするんだけど、それを散布して畑で倒れたとかな、あの頃はそう言う類の話をよくきいたよ。」

「だって私は物ごころつく頃から親達がそうやってリンゴを作ってきたのを見ていた訳だ。農薬で火傷するくらいなんともないとな。こんなの当たり前だと思っていたの。 ただ、美千子が農薬に弱いみたいで、農薬散布すると寝込んだりしていました。それは何とかしないといけないと思った。 トウモロコシでちゃんと収入が得られるようになれば、リンゴは作らなくても良くなるから。」

しかしそんなある日、本屋で本を買おうとした時、本棚の高い場所にあった目的の本を取ろうとした時、偶然となりの本が地面に落ちて破損してしまう。

申し訳ないと言う事でしぶしぶ購入した本が、福岡正信と言う人が書いた自然農法と言う本だったのです。

何となく興味を持った木村さんは、その本を擦り切れるほど読んだそうです。

福岡正信と言う人は、農業家と言うよりはむしろ思想家と呼ぶべき人物で、人間の知恵を否定し、人為的な営みの全ては無用だと唱えていたそうです。

自然はそれ自体で完結したシステムだ。 人が手助けなどしなくても、草木は葉を繁らせ、花を咲かせ、種を実らせる。 そのシステムに手を加え、人間の都合のいい結果を得ようとする人の営みが、つまり農業だと福岡氏は言う。

肥料を与えれば、より大きな実をつける。 害虫を殺せば、より沢山の作物が収穫できる。 人間は例えばそういうふうに考える。 そして肥料の与え方に工夫を凝らし、害虫駆除の方法を発達させてきた。 その積み重ねの結果として、農産物は自然の産物というよりも、ある種の石油製品になってしまった。 現代の農業は、大量の化学肥料や農薬を投入し、農業機械を使わなければ成り立たなくなっている。 化石燃料が枯渇したら、いったいどうなるだろう。 それは人間の知恵や営みが、単に無駄であると言うだけでなく、有害なものですらある事のきわめて明白な実例であるとも福岡氏は言う。

この事は、きっと多くの人達も常に自問自答を繰り返している問題なのではないでしょうか。

と同時に、石油製品であろうとなかろうと、現代の農業が膨大な地球の人口を支える食料を生産していると言う事実と、その恩恵をさずかる一人としての自分もいる・・・・・

木村さんはその本を読んでいくうちに、農薬が無ければ病気や害虫からリンゴを守る事は出来ないと信じていたが、本当にそうなのだろうか・・・・そう思うようになるのです。

木村さんには4つのリンゴ畑がありました。

その内の1箇所だけを無農薬にする事から始めたのですが、月日が経つにつれ、悲惨な光景を目の当たりにする事になります。

葉と言う葉は全て害虫に食べられ、木は病気に侵されていきます。

数年経つと、リンゴの木には一つのリンゴも付かなくなってしまったのです。

しかもリンゴの木はどんどん弱っていくのでした。

農薬の代わりに、ありとあらゆる食品を液状にして散布するのですが、どれもまったく効果はありません。

近隣のリンゴ農家は今まで通りの豊作で、皆とても裕福な生活をしていたそうです。

木村さんには小学生を筆頭に3人の娘さんがいて、奥様とその両親の合計7人の家族がリンゴで生計を立てていたのですが、どんどん生活は貧しくなっていくのでした。

2年3年と色々試してみたものの、まったく好転するどころか、リンゴの木は益々枯れ果てていくのでした。

毎日行う事と言えば、草刈りと手で虫を取る事、そして様々な食品を散布しては様子を見るということでした。

しかしこれでは経過を見るのに年数が掛かり過ぎてしまう・・・・そう思った木村さんは、ついに全てのリンゴの木に農薬を散布する事をやめてしまうのです。

このままいけば、家族は路頭に迷ってしまうかもしれない・・・・・

徐々に自信も気力も失い果てていきそうになる・・・・

農薬をやめてから3年も経つと畑には病気が蔓延し、害虫が異常発生していた。

農薬を使わない限り、その先に待っているのは、リンゴ畑の壊滅という結論しかあり得ない。

と言うのも、木村さんが行ってきた事は、すでに100年以上も前の先人達が経験してきた事であった。

はっきり言ってしまえば、食品を散布した位で対処できるなら誰も苦労はしない。

明治20年代から約30年間にわたって、全国の何千人と言うリンゴ農家や農業技術者が木村さんと同じ問題に直面し、同じような工夫を重ね続けていた。

何十年と言う苦労の末に、ようやくたどり着いた解決法がなんと農薬だったのです。

木村さんはその結論を、たった一人で覆そうとしたのでした。

自分の能力を過信していたのかもしれない・・・・地獄への道を駆け足した・・・・と木村さんは言います。

この時の木村さんの行動は、日本のリンゴ栽培の歴史を逆回しにして、破綻への道を突き進んでいたのです。

そしてとうとう全てのリンゴの木から一つのリンゴも採れなくなり、木村家は貧乏のどん底に落ちる事になります。

電気も水道も何度も止めら、健康保険料が払えなくて保険証も取り上げられた。

子供のPTA会費も払えず、娘達は穴のあいた靴下と短くなった鉛筆をセロハンテープでつないだものを持って学校へ通っていた。

税金の滞納が続いて、リンゴの木に赤紙が貼られた事も一度や2度ではなく、その度に必死で金をかき集めて競売をなんとか取り下げてもらっていた。

もはや売るものもなく、金を借りるあてもなく、万策尽きはてたと言ってもいいかもしれない。

ご近所の農家からは冷たい目で見られ、農薬さえ使えば何の問題もないのに・・・・そうアドバイスされても、けして木村さんは首を縦に振る事は無かったと言います。

周りは裕福であった事から、子供たちがいかに辛い目にあっているかは当然解っていた事でしょう。

子供達だけではありません。

定年したご両親も、退職金は全て使い果たし、それでも皆で内職をするなどして、木村さんの後押しをしたのでした。

木村さん自身も冬になると東京へ出稼ぎをし、そのわずかながらの収入で家族は何とか生計を立てていました。

木村さんはリンゴ畑の一角に、米や野菜を植えていました。

売りに行くほどは作れないのですが、家族が食べていく程度の物はすべて無農薬で栽培していたのです。

木村さんにとっては、米や野菜などの無農薬は、行ってみれば思っていたほどの高度な技術を必要とするものではないという確信を掴んでいました。

それだけに、ならばリンゴも出来ないはずはないのだという信念になり、それがある意味最大の障害となり、無農薬を断念する気にはならなかったのかもしれません。

無農薬開始から4年の歳月が過ぎ、5年目に入ってもリンゴ畑の状態は悪化するばかりでした。

「無農薬では無理だと言う事はもう解っただろう、いい加減目を覚ませ。 少しは奥さんや子供達の事を考えたらどうだ」

多くの友人が激しい口調で忠告するのでした。

友人であれご近所の農家であれ、皆木村家の事を思えばこその忠告である。

理由はさておいても、自業自得である事に違いは無い。

家族を守るべき家長が、一家を貧窮に追い込んでいるのは事実なのだ。

木村さんの毎日の努力は、みんな見て知っていた。

自宅から畑までは歩いて2時間かかる。

それを毎日通い詰め、朝から晩まで畑にいて草を刈り、虫を取っているのを誰もが知っていた。

しかしもうここまで来ると、「あいつは頭がおかしくなった」そう思われても仕方がなかった。

何とか家族の食を支えていた米も、結局水田を手放す事になり、いよいよ米すら満足に食べられなくなってしまった。

木村さんは眠れぬ夜が続き、「もう諦めろ」と言う声が頭の中で響く。

自分は意地になっているだけなのではないか?

これは単なる自分のわがままなのではないか?

自分はいったい何をしているのか、何の為にこんな事を続けているのか・・・・そう考えるようになる。

そして思うのでした・・・・万策尽きたと・・・

尻の底から、痺れるような焦りが湧きあがってくる・・・

答えはすでに出ている・・・自分はリンゴの無農薬栽培に失敗したのだ。

何よりの証拠に、リンゴの木は枯れようとしている。

一刻も早く農薬を使ってやるべきなのだ・・・・

全てのリンゴ畑を無農薬にしてから6年目、1985年の夏、とうとう木村さんは死を選ぶ事になるのでした。

自分が死ねば、このすべてを終わらせる事が出来る。

やるべきことはすべてやったのだ。 これ以上すべきことは何もない・・・・

木村さんは納屋でロープを作り、夜になってから山に登って首をつろうと覚悟すると、一目散に山へ駆け上がり、ロープをかける木を選ぼうとしていた。

がその時、奇跡とも思えるような体験が木村さんに起こるのでした。

それは、ロープをかけようとしていた木を探している時、偶然リンゴの木を見つけるのです。

そのリンゴの木は、葉が一枚一枚満月の光に照らされて輝いていました。

思わず見とれてしまうほど、美しいリンゴの木でした。

条件反射のように、誰が農薬をまいているのだろうと思い、あれがリンゴの木である以上、農薬をかけなければあんなに健康な葉を付けていられるはずが無い・・・・

そこまで考えて、木村さんは脳天を稲妻に貫かれたような気がするのです。

良く見るとそれは、リンゴの木ではなくドングリの木でした。

夢中でポケットを探り、マッチに火をつけて葉にかざしたが、思った通り害虫の姿は無かった。

6年の間、探し続けた答えが目の前に合った。

ドングリの木だけではない・・・森の木々は、農薬など必要としていないのだ。

「これだこれだ、これが答えだとな。 あの日山中で、踊りだしたい気分であったな。 ほんとにバカだからさ、自分が何の為に山を登ってきたかも忘れて、ロープの事なんかすっかり忘れてよ、今度は駆け足で山を下りた訳だ。 一刻も早く自分の畑の状態を見て、何をするか考えたかったからよ。」

「やっぱり土が違うんだとな。 その土の姿を写そうと思って、紙と鉛筆をもっていったんだけど、上手く画けなくてな。 ナイロンの袋に土を掘って背負って帰ってきました。 あのツンとする臭いが飛ばないように、口をしっかり縛ってな。それでまた自分の畑に帰って、土を掘って比較するわけだ。 私の畑の土は、あの匂いもしないし、やっぱり硬かった。 草を抜いても、途中で根がぶちっと切れてしまう位だったな。 リンゴの根は、惨めなもんだった。 太さもハリもないし、なんだか黒ずんでいる感じで、根の白さが無いんだよ。 ドングリは雑草だらけの中で、あれだけの根を張っていた。 坊主頭みたいに雑草を丁寧に刈り込んだ私の畑のリンゴの根っこはこのありさまだ。 雑草は敵だってずっと思いこんでいた。 雑草を刈るのはリンゴのためだってな。 だけど、雑草をいくら刈ってもリンゴの木は元気にならない。 というか、雑草を刈っていたから駄目だったのな。」

「実を言うと、雑草のことでは前に親父と言い争った事があるんだ。 親父は、雑草を抜くなと言ったの。 南方の島で、雑草のある所で作物が良く育つという経験をしていたんだな。 私はその話が信じられなかった。 南の島と青森では違うんだとな。 それじゃなくても、リンゴの木は弱っていたわけだ。 雑草なんか生やしていたら、養分を奪われてもっと弱ってしまうと思ったのさ。 だけど、親父の言うとおりだった。 雑草が土を耕していてくれたんだな。 雑草は雑草で、役割を果たしていたわけだ。 私には親父に見えていたものが見えていなかった。 視野がもの凄く狭くなっていたんだな。 針の目から、リンゴの木を覗いていたようなもんだな。 木を見て、森を見ず。 私はリンゴの木しか見ていなかったのな。 リンゴの木はリンゴの木だけで生きている訳ではない。 周りの自然の中で、生かされている生き物なわけだ。 人間もそうなんだよ。 人間はその事を忘れてしまって、自分ひとりで生きていると思っている。 そしていつか自分が栽培している作物も、そういうもんだと思い込むようになったんだな。 農薬を使う一番の問題は、ほんとうはそこのところにあるんだよ。 農薬をまくと言う事は、リンゴの木を周りの自然から切り離して育てると言う事なんだ。 山の土が温かいのは、微生物がたくさんいて、活発に活動しているからだ。 だから深く掘っても温度は一定だった。 畑の土が10センチ単位で温度が低くなるのは、土中の微生物の働きが弱っているということだな。 その証拠に、いろんな場所の土を掘って調べてわかったんだけど、畑でない場所でも、畑に近い所では同じだった。 深い所ほど温度が低くなっている。 農薬の影響で、土の中の生態系が変化してしまったんだろうな。 私の畑も同じだった。 おそらく、土中に棲息する微生物の量が、山の土に比べたらずっと少なかったんだと思う。 あの時で農薬散布をやめてから6年たったけど、その前はずっと農薬をまいていたから、生態系が壊れていたんだと思うのな。 おまけにいつも草刈りをしていたから、生態系を回復する事が出来なかった。 生態系は無数の生き物の活動によって生み出されるものだからな。それでとにかくリンゴの木の根を丈夫にするには、山の土を再現するしかないと思って、雑草をはやしてみる事にしたの。 山の柔らかな土、微生物が豊富で、深く掘っても温度が変わらない土の中で、根っこは育つんだとわかったからな。 畑の草は刈り込んでしまっていたから、季節外れだったけど、雑草の代わりに大豆を播きました。 クズ大豆を安く買ってきてな。」

「農薬を使わなくなってわかったことがあるのな。 農薬を使っていると、リンゴの木が病気や虫と戦う力を衰えさせてしまうのさ。楽するからいけないんだと思う。 車にばっかりのってると、足腰が弱くなるでしょう。 同じ事が起きる訳。 それでな、リンゴの木だけじゃなくて、農薬を使っている人間まで病気や虫に弱くなるんだよ。 病気や虫の事がよくわからなくなってしまうの。 農薬さえ撒けばいいから、病気や虫をちゃんと見る必要が無くなる訳だ。 人の事を言っているんじゃなく、この私がそうだった。」


本当に凄い人がいるものだと思いました。

努力などと言う言葉だけでは表せない程の忍耐や苦悩と戦ってこられたのだろうと思うと、目頭を熱くさせずには居られませんでした。

これはドラマではないのですから・・・・

人間の生き様としては、あまりに凄過ぎて感動すら憶えません。

そして、もしかしたらこのような人だからこそ、神がおりてきたかのような瞬間があったのかもしれませんよね。

かくして木村さんは、新たな無農薬栽培へのきっかけをもらうこととなり、その後の様々な方策により、とうとう一本のリンゴの木に花を咲かせる事が出来たのです。

全ての畑で農薬をまくのをやめてから8年目の春でした。

畑に咲いた七つの花。

その七つのうち二つが実をつけた。

収穫できたリンゴはたったの二つだ。

そのリンゴは神棚に上げて、それから家族全員で食べた。

驚くほど美味しかった。 こんなリンゴを食べたのは初めてだと思った。

木村さんの長い苦闘が、ようやく終わろうとしていたのでした。

そして翌年、ついに苦労が報われる時がやってきたのです。

「なんか、まともに見られないのな。 見ると言うよりも、ほんとにその小屋から覗くと言う感じであったな。 自分でも自信はあったんだよ。 その前の年に、七個だけど花が咲くのを見たわけだ。 春先の蕾の状態も見ていたし、今年こそはちゃんと咲いてくれるんじゃないかと思ってはいた。 期待はしていたけど、その一方でさ、リンゴの木はまだ私の事許してくれていないんじゃないかって、心のどこかで思っていたの。 まあ何年も花を見ていなかったから、花が咲かない方が当たり前になっていたんだな。 だけど、どう見ても自分の畑なのさ。 全部の木に、花が咲いていた。 ほんとにもう、ただただあの時は嬉しかった。 あの頃を思い出す時、今でも涙が出て来る。 もう二十年も昔の事なのによ。家に帰って、親父とお袋に報告したら、朝のうちに見に行って花が咲いたの知っていたのな。 あはは、知らなかったのは私と美千子だけだった。 でさ、午後になって又一人で見に行った。 あの日は何回見に言ったかわからないな。 夕方、祝いをしようと思って、お酒を持って行って、リンゴの木の一本一本にふるまいました。 木の根元に、ちょっとずつかけてまわったの。 ありがとう、よく花を咲かせてくれたって。 うん、私も飲んだよ。 あははは、私が飲んだ方が多かったな。 だけど、あんな気持ちのいい花見は、後にも先にもなかった。 お酒を飲んで、リンゴの木の下に寝て、ずっと花を見上げていたよ。 リンゴの花はなんと綺麗なものだと思った。 桜に似ているけど、リンゴの花は上を向いて咲くのな。 桜の花は下を向いて、花見をする人の方を見て咲くでしょ。 リンゴは人間を気にもしてないの、上を向いて咲くんだよ。 ちょっと威張っているのな。」

「人間に出来る事なんて、そんな大したことじゃないんだよ。 みんなは、木村は良く頑張ったって言うけどさ、私じゃない、リンゴの木が頑張ったんだよ。 これは謙遜なんかではないよ。 本気でそう思っているの。 だってさ、人間はどんなに頑張っても、自分ではリンゴの花のひとつも咲かせる事が出来ないんだよ。 手の先にだって、足の先にだって、リンゴの花はさかせられないのよ。 そんな事は当たり前だって思うかもしれない。 そう思う人は、その事の本当の意味をわかっていないのな。 畑を埋め尽くした満開の花を見て、わたしはつくづくその事を思い知ったの。 この花を咲かせたのは私ではない。 リンゴの木なんだとな。 主人公は人間じゃなくてリンゴの木なんだってことが、骨身にしみて解った。 それが解らなかったんだよ。 自分がりんごを作っていると思いこんでいたの。 自分がリンゴの木を管理しているんだとな。 私に出来る事は、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。 失敗に失敗を積み重ねて、ようやくその事が解ったの。 それが解るまで、本当に長い時間がかかったな」

ちなみに、木村さんはリンゴの木に農薬をまかないだけではありません。

化学肥料であれ、有機肥料であれ、リンゴの木に余分な栄養は与えないのです。

それは、肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなる。

しかし、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られる為に、地中に深く根を張り巡らせなくてもいいと言う事になる。

運動もろくにしないのに、食べ物ばかり豊富に与えられる子供のようなものだというのです。

「自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。 それが農業の本当の姿なんだよ。 そうあるべき農業の姿だな。 今の農業は、残念ながらその姿からはずれているよ。 と言うことはさ、いつまでもこのやりかたを続ける事はできないということだよ。 昔は私も大規模農法に憧れたけど、その大規模農法地帯はどんどん砂漠化している訳だからな。 アメリカの穀倉地帯も、昔のソ連の集団農場も、今どうなっているか見たらすぐ解る。 どんなに科学が進んでも、人間は自然から離れて生きていく事は出来ないんだよ。 だって人間そのものが、自然の産物なんだからな。 自分は自然の手伝いなんだって、人間が心から思えるかどうか。 人間の未来はそこにかかっていると私は思う。 けして大袈裟でも何でもなくな。 私に出来るのは、リンゴの木の手伝いをすることだけだ。 たいしたことができるわけしゃない。 だけどそれは人間の将来にとって、きっとためになることだって。 これは少々大袈裟だけどもな、でも心の底からそう思うようになったんだ」

 
私自身も、世の中の定説となってしまっているような、いわゆる決まりごとのようなものには、従いたくない性格ではあります。

一般的には定説とか、基本とか、常識とか言われているようなものの中にも、それは本当にそうか? と思えるような事はたくさんあります。

別にそれを根掘り葉掘り調べ上げて、何かを楽しもうと言うのではないのです。

ただ、何も考えずに、何の疑問も持たないまま従うと言う気にはどうしてもなれないのでした。

かと言って、それは誰にどう発信していくというようなものではなく、あくまで自分個人としてはそう考えると言う程度のものでしかありませんでした。

農薬が身体に無害だとは誰も思ってはい無いと思います。

だからこそ無農薬の物しか食べないと言う人がいるのであり、一方では害があるとは思っていても、残留していないのであれば構わないと思って、またそう信じて、一般に売られている作物を購入しているのだと思うのです。

出来る事なら少しでも安全な方が良い・・・・それはそうに違いない。

そして安心して食べられる作物が、出来るだけ低価格ならうれしい・・・・それもそうに違いない。

しかし、そんな私たち消費者の曖昧な考え方が、今の農薬依存の農業を増長させ、野放しにしてきたのも事実でしょう。

それは、けしてこの国の農業の将来であるとか、自然との共生であるとか、そんなことまで考えながら作物を購入していた訳ではないはずだからです。

木村さんは現在も、ありとあらゆる場所へ出向いては講演を行って、独自のノウハウを惜しげもなく披露しているそうです。

またご自分のリンゴも、けして値段を上げようとはしません。

無農薬栽培は、どうしても収獲量が少なくなる。 

だから割高で販売される事が多いのだが、そうやって無農薬の作物が、ある種の贅沢品のようになってしまうことが、無農薬が広まらない原因なのだと木村さんは言います。

私達は、自らの健康を考えて、安心・安全な食べものを求めます。

無農薬の作物が安く多く出回れば、より食の安全は守られる事になるでしょう。

木村さんのような人が無農薬を提唱することによって、より多くの農家が無農薬に挑戦してくれる事と思います。

その功績は、計りしれないほど偉大である事は間違いありません。

数日前、ビデオのレンタルショップに行って初めて、木村さんの記録が映画になっていた事を知りました。

それくらい奇跡だと言われるような事を、木村さんはやってのけたのです。

様々な農業研究者の方が、木村さんの畑を調査し、なぜ不可能と言われたリンゴの無農薬化が成功しているのかを分析する事により、科学的にも大いに貢献することになるでしょう。

今までにも、実にたくさんの素晴らしい人の本を読ませていただきました。

しかし、時には有名になり過ぎて、その後の道を誤ってしまう人も多かったような気がします。

あまりマスコミに取り上げて欲しくないなというのが本音ではありますが、そうはいかないのが世の常でしょう。

が、そんな入らぬ心配が当てはまるような、にわか仕込みの努力や才能では、神は宿らないと私は思います。

木村さんのような、心の底から生きとし生ける全ての生命と向き合おうとしている人にのみ、神は舞い降りるのだと・・・・

木村さんに舞い降りたのは、神と言うよりも、木の妖精だったのかもしれませんけど・・・・


焼き込み調理パンの意外な盲点とは・・・

このようなとてもリアルな質問を良く頂きます。

50gのロール生地に乗せられる具材の重さは、最大でどの位までが良いと思われますか?

具材があまり多いと中心部に火が通らずに生焼けになっていると言う事はあり得ますか?

作業の段取り上ホイロを終了していないうちに具材をのせ、その後にまたホイロに入れる事がありますが、それは間違っていると言えるのでしょうか?

具材(例えばホールコーンなど)だけを成形後にすぐに乗せてホイロを取り、ホイロ後にマヨネーズをかけているのですが、そうすると焼成後に中心部がねちょねちょと生っぽい感じになるのは焼きが足りないからなのか、それとも具材を初めから乗せるのは駄目なのでしょうか?

成形の際にクリームコロッケの揚げたものを生地で巻くパンがあるのですが、それを成形後に冷凍保存して、解凍してからホイロに入れるというやりかたをしています。でもそうすると、コロッケがしゃびしゃびとした感じになり、水っぽくておいしくありません。コロッケは揚げた後の冷凍はやはり駄目なのでしょうか?

自家製のポテトサラダが子供達にとても人気なので、ついついたくさん乗せてしまうのですが、焼き上がってすぐに食べた所、中の方はまだ少し冷たい感じでした。これでは完全に火が通っているとは言えないので、具材の乗せ過ぎは禁物と言う事になるのでしょうか?

どうしても子供が好きな具材を中心に使う事になりがちで、うちで一番多く登場するのがフランクとハンバーグです。食べざかりなもので、どんどん大きなハンバーグを乗せたり、太いフランクを乗せて焼く事が多いのですが、先日子供と一緒になってフランクパンを食べていたら、まだフランクが冷たい事に驚きました。チルドの商品なので火は通ると思っていたのですが、意外と中までは火が届かないのだと言う事に気がつきました。このような場合は、一度あらかじめ焼いたものを乗せれば問題ないでしょうか?

成形はピロシキを50gの食パン生地で丸く包み、ホイロ後に上にもう一枚の天板をのせておやきのように焼いているのですが、この場合は生地がオーブン内で膨らんでいく事を強制的に抑え込んでしまっていると言えますよね。と言う事は火通りの良くない生焼けの部分が出来てしまうと思うのですが、そのことを先生はどのようにお考えですか?


とまあ、とても現実的な質問が多いのですが、このあたりも意外と解っていそうで解っていない事と言うのが多い部分だと言えると思います。

単にどのようなパン生地をどう焼きあげるのが良いのか?と言う事だけではなく、そこに様々な具材を乗せたり包んで焼くと言う事は、味の相性はもとより、製パン的に向いているのかどうか、つまりパン生地とその具材は一緒に焼いても良いものなのか、それとも不向きなのかを全て理解するのは意外と大変だと思うのです。

パン生地の種類や配合もさることながら、具材の多さ、種類の豊富さを考えると、全てを理解する事は非常に難しいでしょう。

と言う事は、やはりケースバイケースで解決していくしかありませんよね。

ただし、考え方の骨格となる部分はそう難しいものではないと思うのです。

つまり、どこを抑えておけば良いのか・・・と言う事ですね。

ちょっとまとめてみましょう。


1 具材と生地の相性は良いか? つまり美味しいかどうかですね。

2 具材の良い所とパン生地の良い所が双方とも生かされているか。

3 どちらかが台無しになってはいないか。

4 食品衛生上どうであるか。

これらを上記の質問に照らし合わせて考えてみると、具材をどれだけ乗せるのが良いかと言うのは3番に該当。

具材乗せ過ぎで生焼けになったり、中心部がねちょねちょとしてしまうのは2番に該当。

コロッケがしゃびしゃびになってしまうのは3番に該当。

オーブンで膨らむ生地を強制的に抑え込んで焼く行為は3番に該当。

と言うように、大抵の場合はこのあたりに注意して考えていかなければならないと言う事が解ります。

がしかし、実は上記の3番までは大した問題ではありません。

なぜなら、相性がどうであるとか、生かされているかどうかなどと言う事は、好みの問題でしかないからです。

一番注意して考えなければならないのが、4番の食品衛生上どうであるかという点なのです。

生焼けの具材が乗ったパンを売った場合、もしそれを食べてお腹が痛くなったというお客様が保健所へ商品を持ち込むと、そのパン屋さんには保健所の検査が入る事になります。

すると、事細かにチェックされ、いつもは考えてもいなかった事をたくさん質問される事になり、ありとあらゆる指摘を受ける事になります。

へたをすると、そこで営業停止処分を受ける事になる訳です。

異物混入などにより、保健所の指導を受ける事はあると思いますが、それは不慮の事故ですので以後気を付けるような対策を提出すれば済みます。

しかし、食品衛生の観点から具材の保存や管理、そして正しい使われ方がきちんと行われていない事が判明した場合は、確実に営業停止になるでしょう。

こうなるともう相性がどうであるかとか言っている場合ではありませんよね。

人生の一大事です。

ここだけの話ですが・・・・

生焼けの具材やパン生地を平気で売っているお店は非常に多いですよ。

しかしそう簡単にはお客様は保健所へはいきません。

なぜなら、何でお腹が痛くなったのかは、なかなか解りずらいからです。

良くこんなものを平気で売っているな~・・・・と言いたくなるようなお店も、実はたくさんあるのが実情なのです。

もちろんそれはパン屋さんに限った事ではありません。

色々な食べ物屋さんでそんな商品に遭遇してきました。

今回ご紹介している質問に代表されるような、いわゆる食材に完全に火が通っていないかもしれない状態は、はたしてそれで大丈夫なのかと言いますと、この内容に限っては皆問題はありません。

なぜかというと、フランクであれポテトサラダであれ、例えそのまま生食をしたとしても、特に問題はないからです。

ピロシキやコーンというものも、生食してお腹を壊すようなものではありませんので、特に問題と言う事ではないと思います。

では、いったい何が問題で、どのあたりに気を付けながら具材を選定、または使用していけば良いのでしょうか?

それにはまず、一つには具材そのものの特性を知ってから使う事。

そしてもう一つは、パン生地と一緒に焼くと言う事はどういうことなのか、しっかり試案と試作を行う事が大切になります。

具材の特性というのは、例えばそのまま生食をしても大丈夫な食材であれば、焼き過ぎて美味しくなくなると言うような事はあったとしても、お腹を壊すようなことはおきません。

つまりこの場合は、きちんとお金を頂ける商品であると言えると思います。

問題は、生食の出来ない食材・具材を使った場合に、完成品にきちんと火が通っているのかどうか、パン生地の焼き時間内に同じようにきちんと焼けるのかと言う事を考慮せずに使ってしまった場合。

また、質問にもあるように、コロッケのように加工して一度火を通してある具材であっても、冷凍するなどしてすぐには食べない場合には、それが解凍焼成後にどのようになってしまうのかをきちんと確認せずに商品にしてしまった場合など、製パンの知識とは別に食品衛生上どうなのかと言う事を考えておかなければならないのです。

パン屋さんでは、ドウコンディショナーを使用しているお店が非常に多いと思います。

この機械は、時には冷凍庫、時には冷蔵庫、そして時には発酵室になるというすぐれものですので、ほとんどのパン屋さんで使用している事と思いますが、具材を包んだり乗せたりしたパン生地をこのドウコンディショナーで冷凍保存する場合、具材の冷解凍時に発生する水分が生地に与えるダメージや、具材そのものの食味が、冷凍していない時とどう違ってくるのかと言う事に充分注意が必要だと思うのです。

この点で言えば、大手の冷凍生地に使用されている具材や、その冷凍生地というのは非常に安全です。

なぜなら、試作に費やす時間がリテイルとは全く違うからです。

つまり、大手のパンで生焼けがあるとすれば、それは確実に焼きが足りないと言う事に問題がある訳です。

しかしリテイルベーカリーや個人店の場合、試作は通常の温度帯でしか行わず、実際にはドウコンディショナーで一晩冷凍すると言う事がしばしば起こりえます。

そうすると、お客様からクレームがあってから初めて食べて確認すると言う事になってしまう訳です。

なぜそうなってしまうのかと申しますと、日頃から生食用の食材をあまり使っていないと言う事も原因の一つだと思いますし、業者から仕入れている具材だから問題はまずないであろうと言う、他人任せの安心感も原因の一つだと思います。

私がパン屋さんで一番火通りが悪いパンに遭遇する確率が最も多いのが、なんとカレーパンです。

カレーが非常にゆるい場合や、具材がたっぷりのカレーの場合、カレーと生地の接触部分がまだ生生地である事があります。

特に気にしないで食べてしまえば解らない人も多いと思いますが、これがカレーではなく中華系の具材でも、ピロシキでも餡でも同じ事です。

具入りのドーナツは、半生状態である確率が非常に多いと言えます。

これは、敏感な人なら確実にお腹を壊すでしょう。

とは言え、少し便が柔らかくなる程度だと思いますので、日頃から何かと軟便気味の人には解らない事だとは思いますが・・・・

また、質問にもありますがコーンなどがたっぷりと乗せてある柔らかそうな生地が、とても焼き色が白い場合などは、コーンをどかしてみると生焼けの部分がはっきりと解ります。

残念ながら、この手の生焼けパンは個人店に非常に多いのが実情です。

いずれの場合も、ご家庭でのことであれば笑って済ませる事が出来る程度の問題ですが、これでお金を頂く限り、私達は食の安全というものに責任を負わなければならなくなるのです。

今一度、ご自分のお店の具入りのパンを、デザインや味を抜きにして、食品衛生の観点に立って厳しい目で見て、そして食べてみましょう。

パン作りに夢と希望を持ち、長年製パン経験を積んだとしても、少しの油断でお腹を壊すようなパンを作ってしまったとしたら、へたをすると犯罪者呼ばわりされてしまうこともありえる・・・・

そう言う仕事であると言う事を、私達は忘れてはならないのです。

めったにある事ではないだろう・・・・

その様な意見もあることでしょう。

しかし、そのめったが自分になる可能性は常にあり、家族が被害者になるということも充分にあるのです。

以下、私が日頃よく体験する事を記します。

サンドイッチのハムがヌルヌルして臭い。

ポテトサラダにツンとする酸味がある。

レタスが洗剤臭い。

生地の中に脱脂粉乳、又は手粉のダマがある。

イースト菌が生地中に残っている。

キャベツから異臭がする。

メンチカツが入ったパンのメンチがレアーで赤い。

マヨネーズが雑巾臭い。

パウンドケーキが生焼け。

餡パンの底がヌルヌル。

鳥の唐揚げが真っ赤っかで口でちぎれない。

ベーコンが酸っぱい。


ご自分の城を守るためにも、面倒でもいちいちチェックする・・・・

それでこそプロだと言えるのかもしれませんね。

中身たっぷりのクリームパンは、どうして肌が荒れるのか・・・

こんな質問をいただきました。

パン生地はすべて手作りをいたしますし、具材なども全て自分で作ったものを使っております。

パン屋さんのようにふっくらとはいかない時もあるのですが、子供達に食べさせるものはやはり安全第一にしたいですし、できる事なら添加物は避けたいと考えそのようにしているのですが、どうしてもうまくいかない事がありご連絡させていただきました。

一つは焼きカレーパンなのですが、うちのカレーパンは具がたっぷり入っているので子供達にも大人気なのですが、見た目があまりにも醜いと言いますか焼き色がとても不安定な感じになっていて、時々生地を破ってカレーが飛び出している事もありますので、ちょっと他人様にはお裾分け出来るようなものとは言えません。

もう一つがクリームパンなのですが、やはりクリームが半分位ははみ出してしまう事と、これも焼き色が非常にまだらな感じに焼けてしまいます。

自分の家で食べる分にはいいかな??と思っていたのですが、私の作るパンを楽しみにしてくれているご近所のママ友がたくさんいますので、その時にははみ出した部分は綺麗に拭き取ってから差し上げたりしてごまかしております(泣)

そこで質問なのですが、具がはみ出してしまっても大丈夫なようにと量を多く包んでいるのですが、先日はわざと少なめに包んでみたのですがやはりはみ出してしまいました。

これは包み方がいけないと言う事なのでしょうか?

それと焼き色がまだらな感じになるのは、具を入れ過ぎるからなのでしょうか?具を少なめにした時には、具がはみ出す事はありましたが、表面は綺麗な感じで焼けておりましたので、そのように感じております。

コーンを乗せたパンやフランクを乗せたパンの場合はとても綺麗な出来栄えに完成するのに、なぜか包みものだとすべて上手く出来ないのは、やはり成形がへたくそであるということにつきるのではないかと自分なりには感じているのですが、包む際に何かこつのようなものがあるようでしたら是非教えていただけたらと思い・・・・・


とても良い質問をいただき、ありがとうございます。

何かにつけて触れてきた部分ではあると思いますが、ご家庭においても、または製パンの現場においても、基本中の基本でありながらも、なかなかクリヤー出来ていない部分なのがこの ”具材を包む技術” であると言えると思うのです。

まずは質問者様の作るパンに関して、どこがいけないのかを検証して参りましょう。

一言で成形技術と言っても、それは非常に深く、文章には出来ない部分が沢山あることは事実です。

パン生地の数だけ、レシピの数だけ、成形する人の数だけコツが存在していますので、今回は質問者様の場合だけを例にとって考えさせていただきます。

まずは生地ですが、一般的なバターロール生地タイプの配合ですので、特にいつも通りに作られているようでしたら問題はそこには無いと思われます。

ただし、生地が硬いと具材がはみ出しやすくなる事は確かですし、製パンの全般的な考え方として、捏ね上げ温度が低い場合、あるいは生地が分割成形の段階で冷えてしまった場合などは、どうしても焼き色がまだらになりやすいので、その点に注意が必要な事は当然あるとお考えください。

では、特に生地に問題がないと判断した場合、具材の何に問題があるのか、あるいはコツのようなものがあるのかを考えていきましょう。

質問者様のお宅では、すべて自家製の具材を使っていると言う事でした。

自家製の安心感と味と言う部分では理想的な具材であると思うのですが、これをパン生地に入れるとなると少なからず注意しなければならない事が発生してくるのです。

それは概ね、水分量と言いますか、水っぽさ??が原因だと言う事なのです。

ジャムパンの包餡が難しいと言う事は他のカテゴリで説明しましたが、クリームやカレーなどもほぼ同じように焼成中に生地の内部で沸騰してしまうのです。

すると空洞が出来、それでおさまらないと今度は生地を突き破って外へ飛び出してしまうのです。

この焼成中に沸騰してしまうと言う現象は、ジャムの場合は砂糖が多いと言う事が原因だったのですが、クリームやカレーの場合は今度は水分が多いと言う事に起因しているのです。

では、なぜ自家製の具材は水分が多いのかと申しますと、実際には水分が多いと言う事なのではなく、具材単体で言えば当然の水分量なのです。

しかしそれは、パン生地に包んで焼くには不向きな水分量であるということになってしまうのです。

業務用に出回っている具材と言うのは、そのあたりを上手くコントロールして作られていて、水分を上手く内部に閉じ込めた状態を保つ工夫がされているのです。

ですので、一般的にパン屋さんが使用している具材を使って作る分には、成形技術の優劣は存在しますが、具材の水分を気にする事は無く使用できるという利点があるのです。

では、家庭で自家製のカレーやクリームを包む場合はどうしたら良いのでしょうか?

一つには、ある程度煮詰める事で水分を飛ばして使用するという手段があります。

例えばカレーの場合は、カレーライスの残りを使っていると思いますので、カレーライスはそのまま楽しんでいただき、残りは鍋に入れて弱火でじっくりかき混ぜながら水分を飛ばしていくのです。

また、カレーの水分と言うのは何も水だけではありません。

玉ねぎやじゃが芋の水分が非常に多い事も、カレーの水分量に関係してくるのです。

ですので、もしもカレーパン専用にカレーを作るのであれば、出来る事なら水分量の多い野菜は入れない方がベストであると言えます。

それでも家では野菜ゴロゴロがお気に入りなんだ・・・・と言う場合もある事でしょう。

そんな時には、全般的にじっくりと煮込んで水分を飛ばしていただくか、あるいはカレーには野菜を入れないでおいて、成形の際に野菜を一緒に入れると、カレーが沸騰するという部分はクリヤーされ、適度に野菜にもカレーが浸みこんで美味しくなると思われます。

いずれにしても、具材とカレーそのものの水分を減らす事が、パン生地に包んだ時に具材を安定させる要素なのだとい言う事だけは憶えておいていただきたいと思います。

カスタードクリームも同様で、いつもよりもやや煮詰めて硬めに仕上げる事で非常に安定しますし、初めから牛乳を減らしておくと言う事も効果があると言えます。

同様に卵を減らすとか、粉を増やすとかの手法はあると思いますが、あくまで味を見ながらコツを掴んでいただければと思います。

さて、水分量をコントロールする事で、具材がはみ出したり空洞が出来る事はある程度クリヤー出来たとします。

すると次の問題は、まだらな表皮の完成度が何とかならないかと言う事になります。

この点は、実は質問者様だけの問題ではありませんよね。

どのパン屋さんに行っても、何だこれは!!!と言いたくなるようなパンが多いのが実情です。

とは言え、その事に気がついていないお客様は多いと思います。

何故なら、それがこのお店のパンなのだと勝手に納得してくれているからにほかなりません。

つまり、美味しければ良いと言う事が最終判断になっていることが多いと思うのです。

しかしです・・・・・

仮に表皮がまだらでも美味しいパンだと思えるのならば、それは生地の配合や具材がとても美味しいからに他なりません。
だとしたら、きちんとした技術があれば、もっと美味しくなると言う事になるはずですよね。

ですから、私達はけしてそこであきらめてはならないのです。

ただし、その部分は技術的要素を多く含みますので文章にする事はとても出来ません。

ですので、要点だけを簡単にまとめますと、とにかく肉厚にする事です。

肉厚と言う事は生地の厚みを多くすると言う意味で、生地重量を多めにする事にもつながるでしょう。

具材は当然ながら発酵はしませんので、成形後もそのままの状態で存在している訳ですが、生地の方は前後左右及び上下にも膨らんでいきますよね。

その際に具材の水分や、例えばカレーのじゃが芋のゴツゴツなどによって内部が滑らかに膨らんでいきずらい状態になっているのです。

その結果表面が薄くなり、さらにそれがオーブンで膨らんでいく過程において、破けてしまったり、あるいは部分的に薄い部分と厚い部分が混在してしまう事で焼き色が付いている部分と付いていない部分に別れてしまい、まだらになってしまうのです。

人がジャンプしようとすると、そこには硬くしっかりとした地面が必要です。

仮にそれがぶよぶよとした水っぽいぬかるみであったなら、高くはジャンプ出来ません。

生地も同じで、充分に膨らんでいく過程において、水っぽい物やゴツゴツとした土台の上では綺麗に伸びていく事が出来ないのです。

それを解決する為には、ある程度の肉厚である事と、水っぽさに負けないようなしっかりとした生地であると言う事なのです。

とは言え、トロ~りカレーとか、なめらかクリームとか、なめらかプリンなどのように、原型をとどめるのが難しい位水分量の多い具材があえて使われていたりするのも現実です。

例え包む事が無謀な具材であっても、あえてそこにチャレンジして、見た目が悪くても売れている商品もたくさんあります。

ですので、最終的には作り手の思いがどこにあるのかによると言う事になるとは思いますが、完成品の綺麗さに興味が無いと言う人でない限りは、やはりより美しい完成度を目指したいと思ってもらいたいものですよね。

パン屋さんに入り、一通りパンを見渡すと、全体的にとても整っているお店があります。

そのほとんどは冷凍生地を使ったお店だと言えます。

逆に、大きさがまちまち、焼き色がまちまちなお店の場合、手作りであると言えます。

この判断基準はどうなのか???と少し悲しくなってしまいますが、現実にはそうだと言えます。

それ位パンの完成度を揃えると言う事は難しい事なのです。

それを家庭で行おうとしたら、当然難解でしょう。

しかし家庭の場合は量産と闘う必要がありません。

パン作りの難しさと言うのは、たくさんの量と種類を短時間で仕上げなければならないと言う所にあるのです。

その点家庭では、少量に集中できるはずです。

だからこそ、しっかりと理論を身につけてさえいれば、最高の完成度に出逢えるのです。

ご家庭なりのコツと理論で、パン屋さんに負けないお家パンを楽しんで下さいね。


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