ベーカリーアドバイザーの部屋

難解な製パン理論を、楽しく解説。 どうして??と思ったらのぞいてみて下さい

医療も経営ですよね・・・・が、しかし・・・・

2014年12月

いよいよ本年も残りわずかになりました。

皆様はどのような一年をお過ごしでしたでしょうか?

事件や事故、そして天変地異とも呼べるような自然の猛威が、歳を重ねるごとに増えてきているように思えてなりません。

その陰には、自分達人間が発達させてきた、過剰な文明社会によって起こる温暖化現象が全ての根源なのではないか?

そう感じてしまうのは、私だけではないでしょう。

何となく徐々に気候の変動は激しくなり、そして徐々に高齢社会になり、そして徐々に税負担も増え、豊かになったはずの生活が、何となくピークを迎えて、今後は急降下していくのではないかとさえ感じてしまう今日この頃。

そんな中、人々の関心は今まで以上に自らの健康管理に向かっているように見受けられます。

マラソンをする人も、ウォーキングをする人も、自転車に乗る人も、非常に増えてきていますよね。

高齢化社会と一言で行っても、すべての高齢者がいわゆる老人であるかといいますと、いえいえとんでもない活力をお持ちの方々が多いのも事実だと思うのです。

むしろ今では、若いほど活力がない、体力がないとも言えるかもしれない状況になっているようにも見て取れます。

健康に関心を持って運動をする・・・・・

それ自体は誠に素晴らしい事であり、それこそが本来の健康維持の秘訣である事は間違いないと思うのです。

しかしその反面、身体の状況を定期的に確認するべきだという判断からか、体重計や血圧計などを家庭に常備する人も多いと思います。

最近血圧が高いな・・・とか、体重が2キロ増えてしまったなどと言って、走る距離を伸ばしたり、走る日を増やしたりする人は、それはそれで正当だと思うのですが、それですぐにお医者様に・・・・・みたいな人も多いと思うのです。

この血圧上昇は、自分の不摂生が原因なのか??

それとも何か病気の兆候が出ているのではないか??

そのあたりをはっきりとさせたいから病院へ行くという人が多いのではないでしょうか。

また、世間と申しましょうか、メディアと申しましょうか、広報と申しましょうか、それらから発信される情報のほとんどに、健康診断に行きましょう、手遅れになる前に早期発見すればほとんどの病気は治りますというような触れこみがあります。

これは裏を返せば、発見が遅いと手遅れになる場合がある、だから定期的な検診が必要だということにつながり、人は皆検診を受ける事は必須項目なのだと思わされているのが今の現状だと思うのです。

頭が痛い・・・・寒気がする・・・・・そう一言でも言おうものなら、まず周りの人は医者に行くように勧めます。

そんなもの、食って寝れば治るよと私が言うと、即座ににらまれてしまいます。

私自身は、かれこれ20年以上検診というものを積極的には受けていません。

積極的にというのは、働く場所によっては、どうしても受けないといけないような企業があり、その様な場合は仕方なく受けますが、なるべく逃げるようにしていますし、その結果は一切見ません。

基本自分の血圧も知りませんが、献血を行うにはどうしても血圧を計らなければなりませんので、その様な時だけ計る事になります。

こんな私ですので、どこの職場にいても検診を受けたがらない、そして医者に行かないという点では、とにかく非難を浴びてきました。

個人の自由のはずなのに、まるで罪人のような扱いを受けたりもするのです。

そうなのです、今の世の中では定期検診を受けない人は罪人に等しいのです。

ならば、何が起きても君は医者には行かないんだな!!

良くこのような事を言われるのですが、怪我をすれば当然治療が必要ですよね。

血を出したまま、骨が折れたま自然治癒を待つ・・・・なんて事がある訳がありません。

しかるべく治療を受ける事は当然のことで、それと検診に行かないことはまったくの別問題ですよね。

しかしなぜか、医者嫌いの人は絶対に医者に行くべきではない、医療をバカにするものは人にあらず・・・・みたいな雰囲気まであるのが現実なのではないでしょうか。

こんな世の中にあって、検診をなるべく受けたくないと言っただけで変人扱いされてしまうというのに、そのことを医療界全体に向けて発信するなどという行為は、よほどの根拠があるか、あるいは大いなる変人で無い限りは不可能だと思うのです。

しかしそれを数十年間にわたって唱え続け、その理論によって事実多くの患者に信頼を得ている医師が、前回までにご紹介した近藤誠医師なのです。

近藤医師の理論に出逢ってから、私は検診というものには近づかない事に決めました。

理論上では、まったくもって疑う余地のない内容なのだとは思うのですが、私はただの素人ですから、この理論が現実問題として通用するのかどうか、もし通用するのだとすれば、むしろ今までのほとんどの治療法が間違っているという事にもなりかねない訳ですから、頭では解っていても、はいそうですかと信用する訳にはいかない部分も当然ありました。

なにしろ、検診は百害あって一利なし、ガンの早期発見は無意味、抗がん剤は毒薬、ガンの手術はほとんど無意味だというのですから、通常の常識では誰も本気にはしませんよね。

しかしなぜか私は信用しました。

相当疑い深い性格ですし、事実まやかし商法のような被害には会った事がありません。

働く企業全体が騙されていた時でも、私一人は参加しない位の疑い深さでした。

そんな私が、なぜ近藤誠医師だけは信用したのか。

それは、医療と製薬会社の癒着構造が定着化している現状を明かし、自分は一切の関係を持たないと言いきった点。

書くのも言うのも、それ自体は簡単な事ですが、実際には社会というのは、多かれ少なかれその様な派閥や上下関係、力関係によってバランスを取っていることが当たり前となっています。

パン屋であっても、原材料の仕入れなどに関して、派閥や力関係によって値段が変動したり、時には取引してもらえない事もあります。

どのような業態であっても、似たかよったかの力関係の働きにより、どうにもならない現実というものがあるはずです。

近藤医師は、その様な環境では公平な判断は行えないという理由から、外部関係者との関係、製薬会社との関係、大学での上下関係などの全てから離れ、孤立無援を貫きました。

また、日本国内のみならず、諸外国のあらゆる医学論文を研究し、そのデータにもとづいて答えを導き出しているのです。

つまり、私はこう思うという宗教論者や妄想論者とは違い、全ての根底には過去から積み上げてきた医療界の研究実績があり、その事実に基ずいて判断をしているだけなのです。

事実から答えを導き出すことと、あみ出す事は大いに違います。

個人の発明やこうするべきだというような論調には、正直何度もがっかりさせられてきました。

しかし今、私は近藤医師を信頼してきて良かったと痛感していますし、歳を重ねるごとに多くの人に伝えるべきだと感じています。

医学の世界は急速に進歩している・・・・・・

もはやガンも治らない病気では無くなった・・・・・

新しい病院、新しい医療機器、新しい医療システムを見るにつけ、なんとなくそう思わされている人が多いはずです。

しかし、現実問題としてガンで死亡する人は年々増え続けているのです。

これだけをもってしても、おかしいと思いませんか?

データによると、確かに死亡した人も増えてはいるが、早期発見、早期治療によって完治した人もまた増えている。

だからこそ、早期発見、早期治療には意味があるのだ・・・・・

これが世の常識になっています。

しかし実際は少し・・・・というかだいぶ違うようです。

というのは、いらぬ早期発見キャンペーンにより、本物ではないガンが多数発見され、ガンの総患者数が毎年増えているからです。

よく、ガンの手術をして治った、早期発見のお陰だという事を聞きます。

しかし、よ~く聞いてみると、手術して見たら悪性ではなかった、つまり本物のガンではなかったという人が多いのです。

これに対して医師は、念の為手術しましたが、悪性でなくて何よりでしたね、めでたしめでたし・・・・・と言います。

患者も家族も、ありがとうございました、先生のお陰で命拾いしました・・・・・となります。

しかしよ~く考えてみてください。

本物のガンでないのなら、何の為に身体を切らなければならないのでしょうか?

相当のリスクと、そして高額な医療費がかかったはずです。

そしてさらに、術後に体調が悪化して、別の病気を併発して死亡するケースが実際には多いのですが、それはデータ上ではガンによる死亡とは判定されません。

ガンは完治し、手術は成功、そして亡くなったのは他の病気ということになるのです。

このようにして作り上げられてきたデータにより、悪性でもない単なるしこりを手術して、ガンの手術が成功し、患者はとりあえず元気で万々歳となってしまうのです。

早期発見を正当化するテレビ番組も多いと思いますが、そんな中で随分多くの著名人がガンで亡くなる報道を目にしてきました。

決まって伝えられるのは、検診を一年さぼった事が原因であった・・・・・とか、もう少し早く発見できていれば手術が出来ていたかもしれない・・・・というような報道です。

とにかくどこまで行っても、早期に発見すること以外に助かる道は無いと言うような論調なのですが、実はそこにこそ重大な間違いがあると近藤医師は言っています。

早期に発見というのは、腫瘍の大きさがパチンコ玉位の大きさになって初めて発見できるそうです。

しかし、現実にはその大きさになった時点で、すでに他の部位へ転移しているのです。

皆様も何となくは聞いた事があるとは思うのですが、転移した事実が解った時点で、それはすでに完治はほぼ不可能だということになるそうです。

でも、手術をして治った人がいる以上、少しでも早く、つまり転移するまでの大きさになる前に切り取れれば、大丈夫なのではないかと思いますよね。

ところがそうではないのです。

そもそも本物のガン、つまり悪性の腫瘍であった場合、どの段階であっても発生と共に転移は存在するのだということなのです。

だとすると、早期であろうとなかろうと、発生した時点でそれはもう完治は望めないという事になる訳です。

逆に言うと、手術をして切り取った後、転移が認められずにめでたしめでたしとなった人は、そもそもが本物のガンではなかった、つまり手術の必要すらなかった、単なるしこりだったということなのです。

まずこれが考え方の根底になるのですが、ほとんどの人はなるほどとは思っていただけないでしょうね。

近藤医師は、著書患者よがんと闘うなの執筆から、現在までの間に、ご自分が唱えられてきた理論に基づき、手術も抗がん剤も一切使用しない放置療法を長年行ってきています。

ご自分の発信する理屈が本物なのかを実証するための、いわゆる臨床試験でもあると思うのですが、その実態が書籍で紹介されています。

それによると、本物かどうかの判断が付きづらいガンの場合、とりあえず放置して様子を見ましょうという患者の同意のもと、経過を見てきた経緯がつづってあります。

明らかに本物のガンで、一番たちの悪いガンである、胃がんのスキルスガンというガンがあるのですが、通常スキルスガンになると、手術や抗がん剤の治療が行われ、ほぼ1年程度で死亡してしまうのに対して、放置した患者は7年以上も生きたそうです。

このことは、恐らく今までの医学では放置してこなかった訳ですから、驚きの結果であると思うのです。

しかし近藤医師は、昔の医者にかかれなかった時代のガン患者は、皆長生きしたと推測出来ると言っています。

つまり、めったやたらに切り刻み、薬漬けにする事で返って死期を早めてしまうのだという事なのです。

しかも、スキルスガンと診断された時点で、治る見込みは0%であるにもかかわらず、なぜ手術をして抗がん剤で苦しい思いをさせる必要があるのかという思いがよぎります。

この現実に関しては、非常に難しい部分があるとは思うのですが、ようするに何もしない=あきらめるという構図を、家族も医者も認めたくないと言う部分がそうさせるのではないでしょうか。

また、延命のためという考え方も当然あると思います。

少しでも長く生きて欲しいと家族は願い、本人も頑張りたい、より長く生きたいと思えばこそ、先生何とかして下さいということになり、ならば抗がん剤でガンの進行を遅らせる可能性があるかもしれないということで抗がん剤を使うという構図です。

しかし、実際には放置療法を行った患者の方が数倍も長生きしていますし、闘うということが、かえってガンを暴れさせる事につながり、自分の身体をも傷つける事になるのだということを理解していたならば、結果として早死にのコースを選択するようなことはせずに済んだと言えるのです。

また、ガンが本物である場合は、残念ながら確実に死が訪れます。

しかし、最も大切な事は、死ぬ時期でしょうか?

人間は確実に死にます。

遅かれ早かれ死は必ずやってくるのです。

問題は、それは解っていたとしても、それまでをどう生きるか・・・・という事なのではないでしょうか。

ガンが本物であると知った時点で、手術をした所で何の意味もないのです。

切られ損で苦しみ損で、そしてお金も寿命も確実に短くなります。

更に悲劇なのは抗がん剤です。

これだけは皆さんもご存知だと思いますが、髪の毛は抜け、一日中吐き気と脱力感に見舞われるあの薬です。

その苦しみに耐えたものが偉いと勘違いされている人が多いと思いますが、抗がん剤はガンにはまったく聞かないどころか、確実に正常組織を破壊し、死期を早めます。

ちなみに、抗がん剤が唯一効くガンもほんの一部だけですがあるようですが、それらの詳しい情報は、書籍をご覧下さい。

まったく効かないのに超高額な薬が、なぜ存在しているのか?

それどころが、死期が確実に早まり、患者の生活が地獄に変わる薬であるにもかかわらず、なぜ医者は処方するのか?

どこまで行っても納得のいく答えは出てこないでしょう、近藤医師の書籍以外では・・・・・

私は、テレビドラマが好きなのですが、手術を万能のように導く内容のドラマや、恋人がガンになる、家族がガンになるような番組を見ていると、とても悲しくなります。

あいも変わらず抗がん剤は使われ続け、絶対に助からないと解っている人でも、何度も何度も手術をして、かえって死期を早めてしまう。

残念ながら、闘っても勝てないものがあると思うのです。

それは、自然しかり、寿命しかり、ガンしかりです。

しかし、ガンに関しては現代の医療は多いに立ち向かいます。

そして患者もそれを望み、社会もそれを後押ししています。

そのはざまで、本来は元気であるはずの人が身体を切り刻まれ、抗がん剤をうたれ、運が良ければ金を失っただけで済むかもしれませんが、時には半身麻痺、時には脳性麻痺、時には廃人へと導かれているのです。

ピンクリボン活動なる乳がんの検診推進運動が盛んに行われています。

マンモグラフィーなる機械におっぱいを挟んで、少しでもしこりが見つかると、おっぱいが切り取られてしまいます。

しかしそのほとんどは、実際にはただのしこりで、ガンではないのです。

そんな恐ろしい啓もう活動を、いつ自らのおっぱいが切り取られるやもしれない女性たちが行っている現実を見ると、本当に悲しくなります。

しかし、そのお陰で製薬会社は毎年売上を倍増し、外科医は大いに経験を積む事が出来、検診業務は大繁盛で、医療機関もどんどん新しい病院を作る事が出来るのです。

そんな事の為に、人体をささげる女性、そして多くの医療費の為に税金を払い続けているのは、何を隠そう私たち国民全員なのです。

横断歩道をみんなで渡れば勇気が出ます。

団体という言葉に安心感を憶えるのも当然でしょう。

ただし、こと定期健診や人間ドック、脳ドック、そしてガン治療に関しては、医療経営の策略もあるのだという事を知った上で、時にははみ出して判断する事も必要だと思います。

もし、自分や大切な家族や友人がガンになったと知らされた時、どうか近藤誠医師の著書を読まれる事を強くお勧めいたします。

抗がん剤はなぜ効かないのか、一部のがんにだけは有効であるなどの細かい説明がされています。

薬別、症状別に事細かく書いていりますので、今現在処方されてい抗がん剤で本当に良いのか、大切な人を大切に思うのであれば、どうか目を通して欲しいと思います。

他にも、子宮頚がんワクチン、インフルエンザワクチン、先端医療と呼ばれるものの無意味さを説いています。

CTやMRI、そして検診のレントゲンでの被ばくの恐ろしさにも触れています。

そして、なぜこうまでして絶対的な存在にまでなっている定期健診や、早期発見の運動が、百害だという事になるのか、今現在何かしらの薬を処方されて毎日のように飲まれている方、検診で再検査を告げられた方、降圧剤を処方されて血圧を毎日気にしている方、そしてとくに、マンモグラフィーでしこりが見つかってしまった方、その様な方は是非一読して、自らの身体は自らで守るという事を少しだけお考えいただけたらと願ってやみません。

医療のすべてが必要なものだとは限らないのです。

近藤 誠医師をご存知の方というのは、はたしてどのくらいいらっしゃるでしょうか?

スーパードクターと言われるような方は、度々テレビや雑誌でも取り上げられますが、近藤医師はまず出てきません。

医療機関及び医療関係の組織などを含めると、いったいどれほどの大組織となるか考えた事がありますか。

前回も書きましたが、その巨大な組織のほぼすべてが推奨しているであろう早期発見、早期治療の為の各種検診は、不必要であるどころが百害しかないと近藤医師は断言しています。

検診を推奨しているのは、もちろん医療関係だけにとどまりません。

あらゆるメディアや自治体なども、全面的に検診を勧める活動を行っていますし、行政も国民のほとんども、検診や人間ドックを定期的に受けることがいかに大切かを訴えています。

それらに関わるすべての人々を敵に回して、まったく反対の理論を唱えているのが近藤医師なのです。

ただし、恐らくは年々、近藤医師の理論に耳を傾ける人達が増えてきている事は事実です。

それは何故かと言いますと、現実問題として医療機関によって不必要な治療を受け、悲しくもこの世を去る人が増えてきているからです。

また、軽い気持ちで検診を受けて再診をうながされ、元気であった人が見るも無残な姿で退院してくる、あるいはそのまま二度と帰っては来ないというようなことを経験した家族が増えてきているからです。

書籍には、検診で腫瘍が見つかったとか、あるいは疑わしい影があるとか、あるいは血圧が高めだとか、念のために精密検査を・・・・・などと言われて落ち込まずに、まずはその事は忘れなさいと書かれています。

また、元気であったのに入院をさせられ、治療と薬で身体が日に日に衰弱し、助けを求めてきた患者に対しては、病院から夜逃げをするようにアドバイスをされています。

このことだけをみると、随分といい加減な事を言うなと思いますよね。

しかしこれらにはすべて理由があるのです。

皆さんは経験がないでしょうか・・・・・

注射をうってもらったら、数日間めまいがしたり具合が悪くなった。

たまたま違う病院に行ったら、まったく違う病名を告げられ、全く違う薬を処方された。

検診で血中脂肪が少し高めだということでだけで再検査を言い渡された。

外科に腰痛で診察に行ったにもかかわらず、飲み薬を4種類も処方された。

これは私が経験したほんの少しの??ですが、こんなものでは済まなかった人がたくさんいるはずです。

まったく元気に人間ドックに行ったのに、そのまま翌日入院となり、数日後には面会謝絶状態になり、数週間後には亡くなってしまったというようなことを経験されている御家族が現実にたくさんいます。

しかし、どのような治療が具体的に行われていたのかは家族には解りませんし、ただお見舞いに行くたびに元気がなくなり、日に日に衰弱して行くのを目の当たりにしながらも、医者を責めるわけにもいかず、なぜこんなに苦しんでいるのだろうか?あんなに元気だった人が、こんなに急に病気が悪化するものなのだろうか・・・・

その様な悶々とした気持ちをもちながらも、ただただ見守ることしかできないという状況の中、死亡を告げられるというケースがあるようです。

その様な経験をお持ちのご家族や、どうしても受けた治療に納得がいかない人達の家族会には、近藤医師は無くてはならない存在になっているのです。

セカンドオピニオンという言葉が現在では当たり前のように使われていますが、これは今現在行われている治療、またはまさにこれから行おうとしている治療方針や、その病気そのものの信憑性を、第三者にも確認してもらうという意味で、別の医師のもとに診察を受けに行くことですが、この言葉、そしてその行動を世にしらしめたのも近藤医師であると私は思っています。

上記で紹介した、元気であった人が数週間後に帰らぬ人になる・・・・という背景には、いわゆる誤診や医者の無知、あるいは経営的な意図というのも存在する場合があります。

先生・・・・といっても、全ての医師が腕がいい、あるいはその病気に精通しているとは限りませんし、若い医師が色々な意味で経験不足であることももちろんあるでしょうし、経営的に上手くいっていない、つまり患者が少なくベットが空いていて、何とか埋めたいという気持ちが、大袈裟な治療に発展してしまう場合も無きにしも非ずでしょう。

そして、そのようなことを少しでも回避する為には、別の医師の意見も聞いたうえで判断した方が、確信が持てるわけです。

不安がぬぐえない場合には、二人と言わずに三人の医師の意見を聞いても良い位です。

それくらい、医師の言う事をただうのみにして信用してはいけない場合があるということを、自己責任として知っておかないと、無意味な治療をされてしまうことがあるのです。

しかし実際にはどうでしょうか・・・・・・

”先生、別の先生に意見を伺いたいので、カルテを貸していただけますか・・・・・”

そんな事が先生に対して言えますか??

現実にはなかなか言えませんし、恐らくこの先生なら問題ないだろう・・・・大きな病院だしな~・・・・・

現にこうして存在している訳だから、まず安心だろう・・・・・

そう思いますよね。

ただし、帰らぬ人の御家族も、もちろんそう思って安心していたはずです。

また、検診には一般的な数値目標というものがあります。

その数値よりも血圧や血中脂肪などが少しでも高かったりすると、もうそれで予備軍の仲間入りになります。

例え少しでも、決まりは決まりですから、生活習慣を正すように言われ、出来れば念の為に再検査を受けるように言われるはずです。

もっと言うなら、会社で検診を受けた場合などは、数値が高かった場合などは再検査を受けるのは義務になります。

もし受けて、適正値に戻せなければ、何かしらのペナルティーを与えるという会社もあります。

少し具合が悪くて休みたい程度の事でも、会社としては必ず診察を受けるように勧めますし、診察を受けないと病休にしてくれない体質のところも多いはずです。

このようにして、何が何でも体調がほんの少しすぐれないという程度の事でも、医療機関に行く羽目になりますし、検診も受けないとペナルティーが待っています。

そんな世の中にあって、検診の悪を訴えた所で、全ての機関がその事を認めるというのはあり得ない事なのです。

残念ながら、子や孫の代になっても無理かもしれません。

ですので、例え検診に行って何かを言われても、それは無視しろ、余計な心配をして簡単に医療機関に行ってはいけないと言っているのです。

具体的な治療をすでに行っていて、どんどん体調が悪くなり、この治療法は正しいのだろうかと思うような場面があったとしても、それを医師や看護師に言ったところで言い負かされてしまうのが関の山です。

ですので、そんな時は問答無用で夜逃げをするしかないと言っているのです。

ふざけているのではなく、まさに正論で、助かる道は自分で決める、そして医療全般を信じ切ってはいけないという事を教えているのです。

お医者様も多少のミスはするでしょう、神様ではないのですから。

そして、そのお医者様のおかげで、今も元気で生きているという方が大勢いるはずです。

そんなバックボーンがあるからか、子供が少し熱を出したからといって、すぐに医者に行く親御さんはものすごくたくさんいるはずです。

そして確実に薬が処方されます。

先生に診ていただいて、薬をもらって親は安心ですよね。

しかし、薬を飲むのは子供自身です。

子供に選ぶ権利や知識はありませんから、子供もまた親を信じて薬を飲みます。

薬というのは、例えば風邪で熱があるような場合には、確かに熱が下がる事があります。

しかしそれは、風邪を治している訳ではなく、熱で菌を体内から追い出そうとしている子供の自衛本能を遮断しているのにすぎません。

つまり、自らの身体が病原菌と戦うことで丈夫な大人になっていくはずが、その戦いを中断してしまうのが薬なのです。

親は熱さえ下がれば安心しますが、子供は熱で病原菌を追い出そうとする力を失ってしまいます。

それどころか、間違いなく多少なりとも副作用は受ける事になるのです。

薬がもたらす最大の効果は、病気を治す事ではありません。

痛みを感じなくする、あるいは闘う事を止めさせるという事は出来ますが、病原菌を撃退する事はできないのです。

であるにもかかわらず、薬は確実に体内の正常組織に影響を与えます。

その影響により、脳や神経が麻痺してしまう人や、ガンなどが発病してしまう人もいるのです。

知らない人は幸せで、身近にその様な子供がいるという人にとっては、まさか風邪薬でそんな事になろうとはと、悪運の宝くじでも引いてしまったかの如く悲しい思いをすることもあるのです。

こんな話を持ち出すと、では熱が上がり過ぎて脳に障害を持ってしまったというような場合はどうしてくれるんだというような議論が必ず出てきます。

そして確実に、そちらの義論が世の中を支配していますので、多少のリスクはあっても薬を飲んだ方が安心だという方向になってしまうのだと言えますし、皆様も良く目にしているであろう製薬会社のCMを見るにつけ、これからもどんどん医薬品は売れ続けていくのだろうなと考えさせれらてしまいます。

”効いたよね、早めのパブロン”

この言葉通り、病気はすべて早めに発見、早めに治療をする事が何よりも大切である・・・・・

私の周りの9割の人は皆そう思っていますし、がんの宣告を受けたご家族に、近藤医師の話をしても、まず読む人はいません。

みんなで渡っている大きな横断歩道をそれて、歩道の無い場所を一人で突き進むような真似を、いったい誰が進んでやるでしょうか。

ですので、この本を読むも読まないも、そしてどう感じるのかも皆さん自身の問題でしょう。

しかし、もしこの治療はおかしいのではないか??と思えるような体験をした場合、この本は間違いなくあなたを導いてくれると断言できます。

それほどに筋の通った理論と実体験にもとづいて書かれた書籍であると言えます。

近藤医師は、国内どころか諸外国の医療データをも研究し尽くしてこの理論にたどり着いたと書かれています。

書籍には、様々なデータに基づいてそのデータの信憑性にふれ、また、自分の理論に基づいて治療を行ってきた患者の経緯を紹介しており、理論だけではなく実際の臨床データとしても核心に触れる内容になっています。

つまり、世の中の常識と言われてきた現在の医療に異を唱えながらも、自分の治療方針を数十年間患者と共に実体験しながら、理論に肉付けしてきている訳です。

病気や治療法というのは、人の数だけ存在し、皆違うそうです。

書籍で紹介されている事例に全てが当てはまる人もいれば、一部だけ当てはまる人もいる事でしょう。

しかし、一つの確信がつかめえれば、その後はどう考えれば良いかは、意外と解るものだと近藤医師は言っています。

今回は、なぜ早期発見が無意味なのか、検診が百害なのかの理由については書けませんでした。

しかし、その理由についてだけは次回どうしても紹介しておきたいと思います。

おおよそパンとはかけ離れた内容ばかりで恐縮ですが、とても重要な事ですので、今しばらくお付き合いいただければと思います。

今この本だけはどうしても読んで欲しいと思います。

皆さんにも当然いるはずです・・・・大切だと思える人が。

そんな大切な人が、何かしらの理由でこの世を去る時が来る・・・・

これ以上の心からの悲しみはありませんよね。

事故とか事件とか災害などというものは、避けようがありませんし、予知することも不可能です。

どんなに悲しくても、それは不運として受け止める以外に、残された者への選択肢は無いのかな・・・・とも思います。

また、老いてごく自然な形でこの世を去る方もいらっしゃいますが、何故かそんな時には、悲しみというよりもむしろ安らかな気持ちになるのが不思議でなりません。

それは何故なのかと自分なりに考えてみますと、人生の道半ばにして、恐らくはこの世にまだ未練があり、この世を去る事が無念であっただろうと判断出来るような場合、残された者にはその無念が伝わって悲しい気持ちになり、他方人生をまっとうしたであろうと判断されるよう場合には、残された者も安らかな気持ちで見送る事が出来るのではないかと考えたりします。

自殺という考え方はさておき、自らが望んで死を選ぶということはまずありませんよね。

高齢であっても、まだまだやりたい事がたくさんあるというような元気な方が亡くなれば、やはり無念であったろうと悲しい気持ちになったりします。

もう十分人生を楽しんだろう・・・・

本人も満足しているはずだ・・・・・

葬儀やお通夜の席で良く耳にする台詞ですが、実際には本人がどう思って死んでいったのかは解りようもありませんので、結局は残った者がそうであったはずだと勝手に決め付ける事になる訳です。

ようやく逝ったか・・・・なんて本音も、時にはあるのが現実でしょう。

死の現実というのは、本人は意識が無くなってしまう為に、悲しいとか無念だとかを感じている余裕すらなく、一瞬の出来事なのだと言われています。

人の死というのが辛く悲しいものであるというのは、それは本人のことなのではなく、残された者、故人を大切に思っていた者にとっての悲しみなのだとある本で読んで、なるほどと思いました。

考えてみれば、眠りにつく時に何となくボ~っとしてくるのは解りますが、その後にはっきりといつ眠りに付いたのかについては確かに解りません。

そして知らぬ間に朝がやってくる。

仏の法にてらせば、生と死というのは、寝ては起きるようなものであると言われています。

つまり、本人にとっては、寝てしまったのか死んでしまったのかさえ、自分では理解しようがないままこの世を去るという事なのです。

死ぬのは怖いという意見と、死など恐れはしないという意見は常に人それぞれ違う意見をお持ちだと思いますが、眠るかのごとく死ねるのであれば、そんなに恐怖を感じなくてもいいのかもしれない・・・・・そう思えたりもしますよね。

ただ、いかなる状況の死であっても、残された者との別れの時間というものだけは、どうしても必要だと私は思うのです。

何故かと言いますと、死にゆく者には、残された者達への伝言であるとか、お世話になった人への感謝の言葉であるとか、特に道半ばであったとしたら尚更の事ですが、これからやりたかった事、なりたかった未来の自分を語る時間があると無いとでは、大きく死に方が変わってくるのではないかと考えるからです。

自分の意見や考え方を、堂々と言えないでいる環境に身を置く事が人生にはあるはずです。

本当は口にしたくても、伝えきれていない感謝の言葉や愛の表現もあるはずです。

それをまったく伝えられないまま、一人で死んでいくというはとても心残りであると考えますし、残された者にとっても、それを聴けたのと聴けなかったのでは、悲しみ方が多いに違ってくると思うのです。

それだけに、事故や災害で亡くなられた方々の無念、そして残された方々の悲しみというのは、計りしれないものであろうと思うのです。

別れの瞬間は誰にでも訪れるわけですが、そこにきちんとした別れの儀式があるのとないのとでは、まったく意味が違ってきます。

いったい何を思って死んでいったのであろうか・・・・・

さぞかし苦しかったのではないだろうか・・・・・

そのような一方通行の思いだけが残ってしまう、残された者の悲しみ。

例えどのような死が訪れるのだとしても、その数時間、数日、数ヵ月という語らいの時間さえ許されるのであれば、どれほど残された者の悲しみが和らぐ事か。

そして恐らくは死にゆく者の無念も、少しは晴れるのではないかと思えてならないのです。

なぜ今回、このようなことに触れているのかと申しますと、皆様もちょいちょいお世話になっているであろう医療の現場においても、無念の最期や、お別れの時間がない状況が多々存在し、なぜその様な亡くなり方を選んでしまったのだろうという後悔がうまれるような治療が、実際には行われているのだという事を知って頂きたいからなのです。

テレビを見ていると、やたらと芸能人を検査しては、肥満だ、糖尿病予備軍だなどとおどし、それを面白半分に取り上げている番組があります。

これは、検診や検査というものを、もっと気楽に受けましょう・・・・という事への誘導だと感じてなりません。

”それでいいじゃないか”  ”きっかけをもらった方が病院へ行きやすくなる”

その様な意見もおありでしょう。

というよりも、大多数がそうお考えの事と推測できます。

日頃なかなか検査に行けない、仕事にかこつけて、検診をさぼっているのは確かだ。

このままいけば、どんどん不健康な身体になってしまう。

だからこそ、このような番組で検診の重要性を訴えているのだろう。

そのように、検診を定期的に受ける事は必然で、それを受けないでいるのはサボりであると思われている方が多いと思うのです。

それはなぜでしょう。

どうして定期健診は受けるべきだ、それが健康を維持する為の必要条件だということになってしまうのでしょうか。

それは、検診を受けることで、今の自分の体の状態を把握する事が出来るから、そしてなによりも、悪い所が見つかったら早めに治療をする事が大切だからと思われているからでしょう。

早期発見、そして早めに治療が大切で、何年も検診をサボってしまった人などは、罪の意識すら覚えたりしているはずです。

それが現在の日本の医療大国としてのある種の悪なのだと声を大にして言いたいのです。

むか~しむかしは、病気になってもお金がないと医者に診てもらう事が出来なかった。

医療は一部のお金持ちだけが受けられるものでしかなかった。

それが今では、誰でもがいつでも、ほぼ必要な治療をしてもらえる時代になり、これで何があっても検診さえ定期的に受けていれば大丈夫、日々先進医療が研究されていて、今ではガンですら治せる・・・・・

その様に思われている人が大多数であると思いますし、報道はその様に行われています。

基本、私達はテレビを信用しますよね。

ラジオでもインターネットサイトでも、著名人や有名人の名前が出てくれば、ほぼ信用はしていると思います。

芸能人をターゲットにして、高名な医師達が解説するような番組が非常に多くなってきましたし、あらゆる地域や団体が検診というものを推奨している今の現状では、検診の必要性は疑いようのないものであり、むしろ検診を受けないでいるから体調が悪くなったのだと思われている方も多いのではないでしょうか。

しかし、それは大きな間違いです。

検診というのは、実は皆様の病気を発見して、早期治療にて回復を・・・・・というようなものではないのです。

もちろん、大義名分としてはその通りです。

テレビに出て来る多くの高名な医者達も、検診の重要性を訴えている芸能人も、地域や団体も、けして皆さんを騙している訳ではもちろんありません。

では何が間違っているのかといいますと、検診というのは百害あって一利なしなのだという事実なのです。

そして、その事実は何故か一部の人しか知らない、知りえないでいるというのが現実なのです。

なぜか?

それは、報道機関、医療機関などが公開しないからです。

なぜ公開しないのか?

それは、医療機関にとっては検診の重要性を訴えなければ、患者であるお客様が激減してしまうからであり、そうなれば検診業務を行っている機関や製薬会社が倒産してしまうからです。

口で言うのは簡単ですが、検診機関や製薬会社、又はそれに関連するような会社が、いったいどれほどの雇用を生んでいるか、どれほどの法人税を国に納めているか、それは私達の想像を大きく超える莫大な人数と金額なのです。

ですので、報道機関も一部ではそう思っている人がいたとしても、とても組織を上げて報道するなどということは出来ないのです。

原発再稼働が、安全性などの観点からすれば、誰しもが反対なのは気持ちの上ではそうかもしれませんが、実際には雇用を生んでいる事は確か、その雇用があるから仕事をして生活をしていけるのだということも確かで、気持ちとは反対に賛成に回らざるを得ないという人々がいるのと同じ事なのです。

沖縄の米軍基地問題も同じです。

悪いと解っていても、そこに雇用が生まれる事実、そこで生活をしていかなければならない現実がある以上、良い悪いという感情論ではどうにもならない問題なのだということなのです。

ましてや、検診となればそれはもう全国民の一人一人が対象なのであり、全ての医療機関、そして国民皆保険制度の根底に関わる問題です。

例え検診に百害があるのだとしても、それが公に出る事は将来的にも難しいのではないでしょうか。

”おいおい、とうとう狂ったぞ このパン屋は・・・”

そう思われる前に説明しておきましょう。

私がこの理論に出逢ったのは、確か30歳くらいの時だったと思うのですが、書店にてたまたま目についた書籍を読んだのがきっかけでした。

”近藤 誠 著 患者よがんと闘うな”

何が身体によく、何が身体に悪い、何が安全で・・・・的な本は嫌というほど読んできましたが、病気と闘うなとはこれいかに・・・・

そんな思いとは裏腹に、その場にて立ち読みで完読してしまい、それを購入していったい何度読み返したことか・・・・

これは間違いなく、現在行われている医療現場の常識にNOと言っている。

もしこれが本当であるならば、この医師は抹殺されるに決まっているし、経験から言えば妄想論者であるはずなので、すぐに消えてしまうだろう程度に考えていました。

しかし、内容としては何度読み返してみても、実に理論武装されていて、疑いようのない素人にも解りやすり説明になっていたのです。

もちろん今現在では、特に家族にガン患者などがいるとすれば、名前くらいは知っているというほどの有名人になってしまいましたが、本を出版されてから昨年の定年退職を迎えるまでの間は、慶応大学病院の放射線科の講師として、まさに現役の医師として医療現場に身をおく一人でした。

そんな大病院に居ながらにして、自らの病院内にかかわらず、すべての医療現場に対して検診は百害あって一利なしと言い放ったのです。

ブログもそうですが、書籍も書いたもの勝ちです。

すんごいことを言ったり書いたり行ったりする人は必ず出てきますが、これまた必ず消えていきます。

しかし、近藤医師は現役の医者でありながら、その理論を唱え続け、定年退職した今では、ガン患者の相談を受ける専門のセカンドオピニオン外来を運営されています。

今までに執筆された書籍は20冊をゆうに越しますが、私はその時代時代に熟読し、合わせて常に他の医師が反論している書籍も読んできました。

日本中の医師を敵に回している訳ですから、高名な医師が黙っている訳はありません。

事実、何度も対談や討論は行われてきましたが、現実問題として近藤医師を妄想論者であると打ち負かせる医師は存在しませんでした。

また、近藤医師は特に乳がんの権威として、当時は当たり前のように行われていたハルステッド術という、乳房を根こそぎ全摘出してしまう手術に大反対していました。

乳房をすべて無くしてしまった女性は、もちろん温泉などには行く気にもなれないでしょうし、家でも風呂に入るたび、裸になるたび、そのえぐれしまった胸を見てはどんな思いをするのか・・・・・

乳がんで悲しい思いを味わった人達と共に、乳房を温存しながら行う治療法を全国に発信しつづけ、今では乳房を温存するのが標準治療になったのです。

事実、私自身も乳がんにかかった友人に近藤医師の所に相談に行かせて、今もおっぱいが現役活躍中の女性がいます。

その事実だけでも、その功績だけをとっても実に素晴らしい事だと思うのですが、やはりガン治療法の全般、検診全般を否定している近藤医師は、日の目を見る事が世の中的には難しいのだろうと考えてしまいます。

では、例えお前がその医師の理論を推奨しているのだとしても、それを人に勧めるのはおかしいのではないかと思われる方もいらっしゃるでしょうから、なぜ今近藤誠の書籍を勧めるのかを次回から説明して行きたいと思います。

身内に病人がいない人にはピンとこない話であり、医者を信じ切っている人にとっても無礼な話であり、健康には自信があり、自己管理はバッチリだという人にも大きなお世話でしょう。

ところがです・・・・

検診に行ったその日から病人にされてしまう人、そしてそのまま帰らぬ人となることも世の中にはたくさんあるのだという事を知って頂きたいのです。

赤信号、みんなで渡れば怖くない・・・・というのが今の医療です。

ところが、赤信号に車が飛び込んでくれば、間違いなく数人は死んでしまいます。

その数人の中に自分が入る確率が低ければ、それで安全と果たして言えるでしょうか?

その数人が、もし自分の大切な人であったならば、それを事故だからとあきらめきれるでしょうか。

そもそも、もし本当に検診が害なら、わざわざお金を使っていく事に何の意味があるでしょうか?

無意味な検診、無意味な治療、それらが人の無念を生む事に一役買っている事があるとしたら、それはもう自分だけが信じていればいいという問題では無くなってきます。

少なくても、このブログを見てくださっている方には発信すべき重要な情報であると私は考えます。

是非、自分や家族の為、そして友人の為にも、この書籍だけは目を通してみて欲しいと思います。

該当の記事は見つかりませんでした。