ベーカリーアドバイザーの部屋

難解な製パン理論を、楽しく解説。 どうして??と思ったらのぞいてみて下さい

ブログは少しの間休業となります。

しばらくの間、ネット環境の整わない場所に行く事になりました。

したがいまして、更新もコメントへの返信もしばらくはお休みになると思われます。

環境もそうなのですが、これまでの仕事とは、ある意味全く違った道を模索しながらの仕事を選びました。

その道が自分にとってプラスになるのか、はたまた汚点を残す事になるのかは、正直自分では解りません。

全力で望んだ末にそれが商売の神様に認められるかどうか・・・・といったところでしょうか。

ただ、自分の選んだ道が間違っていたという事を感じたことはこれまでにはありませんので、あるのは希望と自信と、そして何よりも依頼者様への私を選んで下さった事への恩返しの気持ちです。

そんな気持ちとは裏腹に、体力的な衰えは認めざるを得ない自分もいます。

54歳という年齢になり、今までは自分が老いてきている事への実感と言うものを感じずにいましたし、とても認められない自分がいました。

体力にも自信がありましたし、重い物を持つ力にも自信がありました。

起動力や瞬発力にも自信がありましたし、加齢ではない方の華麗な身のこなしにも自信がありました。

発想力や柔軟性にも自信がありましたし、何よりも考え方が若いと自分では思っていました。

し・・・・か・・・・し・・・ 確実に年齢は重ねていく訳ですし、少しも前に戻る事は出来ないのですよね。

小さい頃から、やたらと宇宙の果てとはどんな所なんだろう・・・・とか、なぜ人間は生まれてきたのだろうか・・・・・とか、死んだらどこへいくのだろうか・・・・・などと考える事が多かった、変わり者でした。

それでも、年老いた人を見る度に、”自分にはまだまだ時間がある” と余裕を持って感じていましたし、まさか自分が50歳を超える日が来るなんて、それこそ夢にも思っていませんでした。

・・・・・が、思うと思わざるとに関わらず、現実に時間は一秒たりとも止まってはくれないのでした。

残酷ですよね人生って・・・・

死ぬのが解っているのに生きるなんて・・・・・

老いるとか死ぬということに、恐怖感を持っている人はどれ位いるのでしょうか?

私から見れば、ほとんどの方が前向きに生きているように見え、今が幸せならば死ぬ事に恐怖などないという生き方をしているように見えますが、実際にはどうなのでしょうか?

かく言う私も、心が弱っている人や悩んでいる人から相談を受けた時などは、自信を持って今を生きるべきだと言い切りますし、悔いなき人生を生きることが人間として生まれてきた使命なのだと言いきっていました。

落ち込んでいたって毎日がつまらない訳ですし、どうせ生きるのであれば、とにかく前向きに、楽しい事をたくさん経験していこうよ・・・・・と言う具合に励ましたりしていました。

しかし、別に落ち込んでいる訳でも悩んでいる訳でもないのですが、一人寝床に付くと、ふと考えてしまうのでした。

「自分が死んだ瞬間から、もう孫と遊べないんだな~」

「好きな事もやりたい事もすべておしまい、お酒も飲めないんだな~」

そんな事を考えながら、昔の事を思い出しているうちに、次第に胸が苦しくなって息苦しくなってくるのです。

そして、やっぱり老いる事、死ぬ事は恐怖以外の何ものでもないな~と感じるのでした。

それでも次の朝には、きちんと目覚める。

そしていつも通りの日常が待っている事に感謝するのでした。

「今日も生きているわ・・・・・・ありがたい・・・・」と。

健康管理に気を使う人は多いと思うのですが、それは少しでも長く、そして出来るだけ健全な肉体で過ごせるようにと願っての事だと思うのです。

健康というのは、何物にも代えがたい財産であることは皆同じ認識であろうと思います。

であるからこそ、食べるもに気を使い、適度な運動を心がけ、家族や友人に心配をかける事のないように健康管理に気を使っているのだと思うのです。

テレビをつければやたらと出て来るサプリメント、健康器具、ダイエット関連商品。

これらも、そんな健康管理を応援するという名目の商法だと思うのですが、多くの人が何かしら利用しているのが現実ではないでしょうか。

もっと言うなら、健康管理を通り越して、美容整形、エステ、マッサージなどなど、人間の欲望というのはとどまる事をしらないようですし、同じくそれに付け込む商売もとどまる事を知らない訳で、そんな事をしなければ経済が安定しない環境というのも、いかがなものだろうと考えてしまいます。

歳を重ね、肉体的な衰えを感じる半面、精神面ではそれはそれは多くの人生勉強をさせていただいてきました。

そんな中で今思う事は、この何不自由ない毎日、環境に恵まれ食べものに恵まれ、ある程度の欲望にはお金さえ出せば手が届く、そんな恵まれた日常に最大の感謝をもってこれからは生きていかなくてはならないなと言う事なのです。

日常には、とてつもない差別や格差が生まれています。

それでも人間の歴史の中で言えば、今はましな方なのかもしれませんが、とてつもなく裕福な人達がいるかと思えば、食べものや着るものすら満足ではない人達が現に同じ時間に生きています。

寒ければすぐに暖房を入れられる環境にある私達とは大違いで、がれきと泥にまみれながらも、その日一日を精一杯生きている人達が必ずこの国のどこかに存在してしまう。

ほぼすべての人が平和で平等に暮らしていく環境と言うものを、望まない人間はいないと思うのです。

しかしその反面、そんな劣悪な環境を招くような行いをしてしまうのも、これまた人間であるという現実。

神様からすれば、自分たちで不幸を招くなど何と愚かな・・・・・と思っている事でしょうねきっと。

この地球上から差別や格差が無くならないのと同時に、犯罪も無くなる事がないのでしょうね。

どうして人間の心というのは、皆が良い方に向かうようには働かないのでしょうか?

どうして我も我も、我が我がになってしまうのでしょうか?

悪の心というのは、どのあたりからエスカレートしていって、やがては人を殺してしまうような衝動を起こしてしまうようになるのでしょうか?

なんて事を言いながらも、たかだか口喧嘩をしただけで、瞬間的には殴り倒したくなっている自分がいたりするじゃないですか。

善から悪へのリンクなんて実は超簡単で、まさに瞬間移動出来てしまうように作られているようですから、人間の存在そのものが、生きとし生けるもの全ての災いなのかもしれませんよね。

それでも、まるで神様ではないか??? と思えるような人達っていますよね。

一瞬、神様のような行動をとっている人というのは日常でも見かけるのですが、生き様そのものが神様みたいな人達もたくさんいらっしゃいます。

ほんの少しでも、その様な人達の真似をしていきたい。

そんな行動により、ほんの少しでも差別や格差が平等に近づき、少なくとも人間が人間を殺戮するような事のない社会が訪れて欲しい、そう思います。

裕福な人がたくさん寄付をして、恵まれない人は一生懸命勉強して、健康な人はボランティアに参加し、皆が幸せのお裾分けをしていけば、少なくとも飢えて亡くなる人々や殺人を犯すような人間が減り、平等な平和社会になっていくのではないか、そんな宗教学者みたいな事を思い描きながら、私に出来る社会貢献を行っていく人生でありたいと思うのでした。

小さなボランティアには参加してきたつもりですが、仕事がきつい人にとってはなかなかその時間がありませんよね。

私はそんな時、とにかく寄付をするようにしています。

お金はかさばらないし、何にでも変える事が出来る便利なものです。

これは贅沢すぎるかな???と言う事はじっと我慢して、その分寄付をするようにしています。

倹約と言う言葉がありますが、その見本のような人がおりました。

各地に支店を持つ企業の社長さんなのですが、とにかく仕事には厳しく、特にお金にはこれでもかと言うほど細かいのです。

会議での弁当は必ずのり弁か素うどん、自分のお昼はパン一個、愛車は当時のカローラバン、列車移動は特急や新幹線は使わない。

お酒やたばこはもちろんやらず、趣味は人から借りた本の読書。

そして、地元のお寺や学校に毎年多額の寄付を行っているという超変わり者どけちなのです。

多くの人にどけちと罵られている社長なのですが、倹約は人間の使命なのだと常日頃から言っているのです。

何だかんだ言っても、どんなにその行動が場の空気を変えようとも、とことん自分の考えを貫く姿勢、そして何よりもその多額の寄付で潤う教育現場。

教育や知育こそが、人間を正しい道に導くのだと社長は言うのです。

すんごい人がいるものですよね~

そんな社長も、数年前御病気でお亡くなりになりました。

どんなに倹約していたって、どんなに贅沢な食生活をしていなくたって、どんなに他人の役に立っていた人格者であったとしても、やはり死はやってくるのですね。

心からご冥福をお祈りするとともに、その精神の一端でも引き継いでいきたいと思います。



該当の記事は見つかりませんでした。