ベーカリーアドバイザーの部屋

難解な製パン理論を、楽しく解説。 どうして??と思ったらのぞいてみて下さい

コロネの成形画像をとりあえず・・・・

画像を整理していたら、たまたまコロネの成形が見つかりましたので、遅まきながらご紹介しておきます。

コロネの成形はとても難しいと質問されてくる人もいれば、別に美味しければ形なんてどうでもいいと言う方もいらっしゃいます。

しかし確かに、味も形も両方求めたくなるものですよね。

やはりなにごとにも美しさを追求したくなる方と言うのは、意外と多いのではないでしょうか。

コロネの成形だけではなく、パン生地を成形するというのはとても難しいものです。

パン生地にはどうしても弾力というものがあり、押したり引っ張ったりすると戻ろうとする力が働きます。

この事と上手く向き合う事が出来て、はじめて成形を極める事が出来ると言うのは、パンを作った事がある方なら誰しもが知る所でしょう。

そんな弾力のあるパン生地を伸ばすと言う行為は、これまた非常に難しいと言わざるを得ませんよね。

パン作りをしている方と接してみて思う事は、とにかく味にこだわる人がいる一方、美しさにこだわる方、美しさは味を超えるのだと思われている方もいるという一面です。

パンは確かに食べ物ですが、そこに何か芸術性を求めていらっしゃるかのように、その完成度の高さにこだわる方がいらっしゃいます。

かく言う私もどちらかと言えばそうかもしれません。

美しくなければ気が済まないと言う所は確かにあると思います。

そんな美しさを追い求める方の為になるかどうかは解りませんが、是非参考にしていただき、イメージを膨らませていただけたらと思います。

まずはこちらです。

コロネ1


一個50gの菓子パン用生地を、冷蔵庫で数時間落ち着かせた所になります。

今回の流れは、このまま最後まで伸ばしていきますが、いちど手のひらの長さ程度に伸ばした物を、冷蔵庫又は冷凍庫で数分休ませてから行うと伸ばしやすくなります。

ただし、その間に気泡が入ってしまうと言う危険性もあります。

コロネ2


バターロールを作る際などと同様に、一度細長く伸ばしておいて一旦休ませます。

10個以上作るような場合であれば、そのままの作業の流れで続けます。

休ませるのは5分以内にしましょう。

コロネ3


それを一気にこの位の長さまで伸ばしていきます。

太くて短く伸ばした場合は、どうしても巻き数が少なくなり、巻きながら生地を引っ張るようになります。

するとどうしても美しい巻き目が出ませんし、ふっくらとしたパンになりづらくなります。

長めに伸ばしてゆったりと巻く事で、美しく仕上げる事が出来ます。

長く伸ばすのは大変な事ですが、ここまで長く、そしてここまでまっすぐ滑らかに伸ばす事が出来るようになれば、どのような伸ばし者もクリヤー出来るようになると思いますので、この画像をよーく目に叩き込んで望んで欲しいと思います。


コロネ4

長さのイメージはこの位です。

そして、太いほうの端を少しだけ細くしておきます。


コロネ5


画像では解りづらいですが、巻き方や巻いて行く方向などはあくまで自由です。

型の太い方を持つ人もいれば細い方を持つ人もいる。

下からスタートする人もいれば上からスタートする人もいる。

細い方から巻き始める方もいれば太い方からの人もいる。

それらは右利きか左利きかのもよりますし、あまりこうでなければならないと考える必要はないと私は思います。

綺麗に伸ばされてさえいれば、後は生地を引っ張らないように巻く事が出来れば良いのです。


コロネ6



コロネ7



コロネ8


こんな感じですね!!

ポイントはたくさんありますが、生地の配合などによってもそのコツは違ってくるでしょう。

一見どんなに綺麗に伸ばされたかのように見えても、時間がかかり過ぎて生地がベタベタになってしまっては台無しです。

無理に伸ばし過ぎて生地切れを起こしてしまっていてもダメです。

伸ばされた生地が適度な緊張感を持った状態で、かと言って短く戻ろうとするような事が無い状態がベストでしょう。

と言ってもなんのこっちゃと言う方もいらっしゃるかもしれませんが、要するに一本の生地が生き生きしているかどうかと言う事が重要となるのです。

たかがパン一個の成形ですが、その中にパン生地取り扱いの全てが凝縮しているということを、この画像から少しでも盗み取って頂けたらと考えます。


コロネ9


巻き数の好みもあるでしょう。

焼き色の好みも中身の好みも人それぞれで良いと思いますが、どうか心から納得出来る、そしてパン生地の良さを最大限に生かせるような成形を行っていただけたらと思います。


パンの値段は安い方が嬉しい・・・・のは確かでしょうが

家庭でパンを作られている方というのは、そのパンが出来上がるまでにいったいいくらかかったのか??・・・なんてことを考えて作るものなのでしょうか?

それとも、たぶん買うよりは少しは安くなっているんじゃないかな????程度の認識でしょうか。

物の値段というのは、その業界を知らないとどうしてその価格になるのかが掴みづらいですよね。

売られているものの価格の中には、当然ながら原材料代はあるはずですし、それを作る為の設備や場所、そして作る人や売る人に支払う費用などが入っていますし、それらをを綜合しても、きちんと儲けが出るように価格を設定して販売するのが商売の基本になりますよね。

物の値段と言っても、お婆ちゃんがいつも持ってきてくれる野菜達とか、いつも買い物で買うような日常品ならば、概ねどの位の価格が妥当であろうかは判断のつく所でしょう。

実家の土地で長年住んでいる畑で採れた野菜には、原材料費などはさほどかかっているとは言えませんし、その野菜を育てているお婆ちゃんが年金生活なら、人件費と言うのもそうかかってはいないでしょう。

しかしそれがある程度の量の出荷となると、人手もかかりますし、売る為の費用というものも発生してくる事になります。

お婆ちゃんからもらう野菜は無料でも、スーパーで買う野菜には値段が付いてしまうというのは誰でもが解る事で、そのようにして商売と言うのは成り立っているのだと思いますよね。

その商品が作られて行く過程で、どの位の費用が総合的にかかっているのであろうかと言う事は、販売価格から概ね推測する事が出来る訳です。

そして、通常の物よりも明らかに高めの商品というのは、おそらく原材料に良いものを使っているに違いないとか、手間をかけているに違いないと私達は判断していると思うのです。

でも実際は、アレレ??と思うような価格設定に出くわす事があります。

まったく同じ会社が作った商品なのに、売っている場所によって価格がまったく違うと言う場合です。

食品で言うと、スーパーとコンビニではまったく価格が違いますよね。

最も違うと思うのはカップラーメンで、スーパーではコンビニのおよそ半額で売られている事が多いと思います。

まったく同じ会社の、まったく同じ商品なのに2倍も差があるのですが、その事に文句を言う人は誰もいません。

さらに近年では、大手スーパーにはプライベートブランドの商品が非常に増え、ほぼ内容の同じようなカップラーメンが、更に安く売られています。

プライベートブランドについては当然コンビニにもあり、そのシェアは益々増えていくと想像できます。

そのようにして、まったく同じような商品があからさまに違う価格で売られていても、誰も怒る人はいませんよね。

不思議だとは思いませんか???

なぜそんなに違うのに誰も文句を言わないのか・・・・

なぜ公正取引委員会が出てこないのか・・・・・

こっちで買えば160円の物が、少し歩いただけで80円で売っているのですから、本来ならば誰も160円の方では買わないはずだと思うのですが、実際はそうではありませんよね。

小さい頃に家族でレストランへ行った時、ジュースを注文したいとねだると、必ず帰りに買ってあげるからねと言われました。

それは、レストランだとジュースが高いからで、同じ物を自販機で買うと三分の一の値段で買えるからですよね。

特別裕福ではない家庭に育っていれば、誰でも経験している事ではないでしょうか。

それも今では、ファミレスでドリンクバーを飲む方が自販機よりも安いのですから、商売の考え方というものも時代と共に変わってくるのだなと改めて思いますよね。

ちなみに昔は冷蔵庫で冷やしてある飲み物は、冷やし代として5円高くなっていました。

スーパーマーケット自体がまだありませんでしたし、街のいわゆる商店で、全てをまかなっていたのですから、今の子供達に聞かせるとビックリですよね。

おっと、いらぬ昔話はさておき話を戻しますが、一つ一つの商品価格を見比べていくと、売られているお店によって全く違うと言う事に行き着く訳ですが、だからといってその単品価格だけを見てお店をい選んでいる訳ではありませんね。

より自分の好みの商品が他店よりも安く販売されていて、尚且つそれ以外の魅力である、例えば品揃えであったり、接客であったり、サービス全般であったり、オリジナリティーであったり、また別の観点から考えれば、歩いて行ける場所にあるとか、通勤経路にあるとか、駐車場に車が止めやすいとか、そのあたりの判断は人によって違うとは思いますが、要するにトータル的に見て気に入ったかどうかで利用するかどうかを決めているのではないかと思います。

時代と共に、物を買いに行く場所の選択肢は増えるばかりです。

ほんの少し車を走らせただけで、買えないものは何一つない位、物が溢れています。

更に言えば、車を走らせるまでもない、ネットでも何でも揃う時代です。

普通に割引セールとか、○○均一祭なんてことをやっている位では、目立たなくなってきている事は確かかもしれませんね。

買う側からすれば、溢れるほどの中から自由に選ぶ事が出来る訳ですから、お店はいくら増えてくれても大歓迎でしょうし、勝手に競って勝手に安くしてくれればくれるだけ、買う側にとっては有難いだけの話で・・・・ということで果たして本当に良い事なのでしょうか。

明らかにやり過ぎだろう・・・・みたいな事、周りで行われてはいませんか?

パン屋に限って言えば、100円均一みたいなお店が非常に増えてきました。

100円均一のお店と言えば、それこそ昔は100円で売れそうなものばかりを集めたようなお店の展開で、当時はまったく人気が出なかったのに対して、今ではとても100円では手に入らないようなものまで100円で手に入るという、画期的な商売の形態へと発展を遂げました。

パン屋の100円均一も、一昔前とは大分様変わりしてきていて、これがなぜ100円なの???というようなお店が増えてきました。

いつの時代でも、価格競争というのは無くならないものです。

同じようなものなら、安い方が良いに決まっているからで、そこにさらなる魅力が出てきたとしたら、それはもう同業者としては驚異以外の何ものでもありませんよね。

ず~~~っと以前からスーパーなどで行われてきていた、日替わりのパンの安売りとか、広告の品とか特売とかなどとは違って、エブリデイロープライスを焼き立てパン屋が始め出したのですから、安売り競争に関わりたくはない・・・・なんて言ってはいられない状況に追い込まれているお店もあるだろうとお察しいたします。

商品構成の中の何品かを安くすると言う事は今までも戦略として行ってきたと思います。

本日のサービス品や今週の目玉商品というように、戦略として一部を値下げしたりすることはどなたでも経験のある事でしょうし、だからと言って儲けがガクンと減ると言う訳ではありませんでした。

むしろそのような動きのある販売戦略によって、トータル売上が上がり・・・・と言うのが理想的な方策として用いられてきました。

ところが、何もかもを100円で販売されてしまうと、近年の100円均一ブームも手伝い、それはそれで買う側には相当なメリットとして映る事は間違いないでしょう。

買う側からすれば、回転すしやバイキングなどに行った時のように、出来る事なら元の取れる物を食べようとか、一番原価のかかっていそうなものを買おうというような、今までパン屋に無かったような楽しみ方が出来ると言うメリットもある事でしょう。

100円で出来そうなパンを買うのではなく、これが100円で良いの??と言うような商品をどれだけ揃えられるかによっては、かなりの販売戦略となるはずです。

が、しかしです。

現在、過去に類が無い位の原材料高騰に頭を悩ませているのがパン・菓子協会です。

いや、パンと菓子だけではないでしょう、全ての食品と言っても良い位、前代未聞の原料高騰に見舞われています。

それでもそのような大安売りを実行する企業と言うのは存在するのです。

この記事を読まれているあなたが、ホームベーキングかパン屋さんであるなら、とっくに材料の値段が最近非常に上がってしまった事実を知っている事でしょう。

乳製品に油脂に小麦粉に乾果実、おそらくは卵以外はすべてと言っても良い位、値上げラッシュが続いています。

そうでなくても、先に述べた単品の価格が買う場所によって大きく違うのと同様に、パンの原材料と言うのも買う場所によって、そして仕入れる量によって、さらには企業間の力関係によっても、大きく違いがあるのです。

ホームベーキングの方から、使用している材料の値段を聞くにつけ、毎回大変ビックリしています。

さらに、パン屋さんでも個人経営の方の場合は、企業やチェーン展開のパン屋さんとの価格の違いには大変驚かされます。

そりゃたくさん使ってもらえば安く出来ると言う理屈も解らないではありません。

しかし、その内容と言ったら、あまりの違いに腰が抜けます。

その様な所にも、価格格差とかパワーバランスが変に働いている現実を見ると、これはもう買う側が喜べばそれで良いという問題では済まされないのではないか、国民総懺悔への道をはやめているのではないかと思えてなりません。

私がいつも買い物に行く激安スーパーでは、プライベートブランドの食パンがいつでも税込68円で売られています。

その他のパンも全て激安ではありますが、果たしてこのような販売手法を、本当にお客様は望んでいるのでしょうか?

企業努力でその価格を実現しているのであろう事は解ります。

しかし業界人として、私にはそのパンが可哀そうに見えて仕方が無いのです。

私とて裕福ではない為に、激安スーパーを利用します。

しかし、先程も言いましたが、同メーカーの同じ商品が安いのであれば、品質に問題があるとは心配する必要さえないでしょう。

プライベートブランドというものも、相当量の生産が見込めない物は適用外のはずですので、もちろん品質にも問題はないのでしょう。

し・か・し、やはりどうしても心配になってしまいます。

何が心配なのかと言えば、その超低価格の実現の裏に、どこかで何か無理が生じてはいないだろうかと言う点です。

たまに激安なのでしたら、誰も心配はしませんよね。

それが毎日となると、どこかにその歪みが出はしないのかと心配になるのです。

ちょっとここで、その食パンの原価というものを少しだけ分析してみましょう。

一斤68円のその食パンは、ごく通常の重さですから、生地重量はごく一般的なものと推測しましょう。

ただし、配合は当然ながら必要最小限のものとして考えます。

小麦粉に砂糖に塩、そしてイーストと安~い油脂を少量と言う考え方で原価を割り出します。

安い油脂を使うと風味が悪くなりますから、通常はフレーバーを使う事になるのですが、フレーバーと言うのも実はかなり高額ですので、それはここでは考えない事にします。

小麦粉の価格はさて置き、イーストと砂糖と塩と油脂は、私の知る限り一番安い価格で計算した所、それらの合計は約10円になりました。

一斤あたりの生地重量は440グラムで計算しています。

油脂は特にピンキリですが、とにかく一番安いマーガリンと言う事で考えてみました。

通常パン屋さんで使われているであろう小麦粉の価格というものも、その銘柄や取引量などによって相当な違いがあると思いますが、今現在の私の知る限りの最安値ではkg当り128円です。

それをこの食パンの小麦使用料に換算すると、一斤あたり31円となりました。

この31円とそれ以外の副材料の原価10円を合わせて41円、それに袋代が一般なら5円程度かかると思いますが、そうなるとそれでもう46円になってしまいます。

ここで計算に使った原材料価格と言うのは、ホームベーキングの方からしたらあり得ない価格であると思います。

小麦粉などは特にそうでしょうが、この2倍は最低でもしているはずです。

しかし、通常小麦粉と言うのは業務用であっても一袋25キロ単位で出荷されます。

今回はその最安値で計算しましたが、プライベートブランドを展開できるほどの量を作るとなると、それはもう間違いなく大手工場になりますから、そうなると小麦粉は製粉会社から袋に入れずにトラックで直接工場へ納品される為に、価格はだいぶ安くはなると思います。

そして、同じような価格でもう少しランクの高い油脂も使えるでしょう。

ビニールだって1円未満で作れるかもしれません。

ホームベーキングの方からすれば、この販売価格の68円は、すでに手作りした場合の原材料費よりも安い価格となるはずです。

作る側が色々努力して超低価格の物が完成する・・・・・・

それによって買う側は超お得にその恩恵にあずかる事が出来る・・・・・

目出たし目出たし・・・・・・でしょうか本当に・・・・

実際には、私達の見知らぬ事に多くの補助金が動いています。

企業努力と言うものにはどうしても限界があります。

そのさらに上を行こうとすると、そこになぜか政治が介入してきたりします。

あり得ないようなサービスの裏では、しっかりと私達の税金が使われていたりしていて、そうだとすると結局はそれらの歪みは自分の身に帰ってきていると言う事になります。

お得だと思っていたら、別の名目で出費させれられている、そうでなければ世の中は回ってはいかないはずです。

ここの所の価格競争は度が過ぎている・・・・・そう感じてなりません。

しっかりと先だけは見ながらの戦略であって欲しいと思います。

格差・不公平・不平等を作り出しているのは誰だ!

2015年8月・・・・・尋常ではない暑さ・・・・・

そんな中でも外で働いている人がいる・・・・・

良く倒れないものだと感心しながらも、皆が皆好きでこの暑い中外で働いている訳ではないのだろうなと考えたりする。

オーブンをしょって仕事をしているという点では、パン屋も似たかよったかの仕事だとは思うが、さすがに炎天下に外で陽にあたるよりはましだと思う。

パンを作る事意外に能のない私は、役場や銀行や図書館などに行くにつけ、この仕事なら私にもできるかな??なんて考えたりする事が多いのだが、だからといって転職する事は難しいだろう。

皆若いうちからその道をある程度は目指して勉強し、そして必要な資格をとったり、必要な経験を経てその仕事につくからである。

公務員を目指して勉強していた奴というのが確かにクラスにいた。

しかし私のその頃は、おおむねスケベな事で頭がいっぱいで、他には何も具体的には考えてはいなかった。

何事も先々を考えて段取り良く計画する・・・・・今なら充分理解出来るのだが、少々というか大分遅かった・・・・

誰しもが自分にあった仕事に付きたいと思うものであろうが、そのようにして段取りを組んで望まない限りは、残り物のきつい仕事につく事になるものである。

何をしてきついと言うのかは、それぞれ判断の分かれるところだとは思うが、解りやすく言えば真冬の新聞配達は誰にでも出来る仕事ではないだろうと思う。

今の季節に言うとピンとこないと思うが、早朝と言うか夜中からの仕事であり、バイクで全身が凍えるあの仕事は、普通の人がやったら恐らく何日ももたないだろう。

真夏の道路誘導員も、普通の人がやったらまず入院だと思う。

そのような過酷な仕事というのは、大抵の場合アルバイトだったりする。

他方、夏は涼しく冬は温かで、比較的能力を必要としない時間から時間までの仕事をしている人というのは大抵社員である。

パン屋と言うのもたくさんのアルバイトを雇用する職種の一つと言えるが、そもそもが同じような作業内容なのに対して、どうして収入があんなにも違わなければならないのであろうか?

へたをすると、パートとかアルバイトの人の方が能力の高い場合もあるし、手際もよく大変助かっているという現場は多いのではないだろうか。

な・・の・・に・・・社員かパートアルバイトかの違いだけで、給与は2~3倍も違ってくる。

アルバイトと言うのは・・・・パートタイマーと言うのは・・・・・と、なぜその様な雇用形態が存在しているのかと言うことは、大方の人なら知ってはいよう。

しかし、もし現在自分が社員からアルバイトにならなければならない状況に置かれたとしたら、素直に納得して今まで通り働けるものだろうか。

やる気も実力も全て今まで通りなのに、何故か収入だけがガクンと落ちるのだから、たまったものではないと思う事だろう。

その様に私達は、不平等ではないかと思ってはいながらも、とりあえずこちら側にいる事で、何となく見て見ぬふりをしている事がある。

そして、あちら側に行かなければならなくなった時に愕然とするのである。

比較的大手に勤めてきて、結構な年齢でリストラにあった人はまさにそんな心境なのではないだろうか。

大手○○社で3000人をリストラ・・・・みたいなニュースを良く見るが、本人達にしてみれば人生最大の危機なのに対して、報道する側も見ている私達も、そうなんだ~程度の事で終わってしまう。

人の生き死にに直接影響するような一大事が起こっているにもかかわらず、その日だけのニュースで終わってしまうのである。

そのようにいかなる場合も当事者と、その家族や関係者以外の人には他人事なのであり、どうしてあげる事も出来ない、いわゆる仕方のない事として受け流されて行くのが現実であろう。

今日の自分が今まで通りの待遇で、そして大きな病気や怪我もなく、出勤して行ける有難さと言うのは、充分過ぎる位の幸福な環境なのであると感じてならない。

その反面、今の待遇や環境には少しも幸せを感じる事が出来ないでいる人達が多いと言う事を知っていながら、とりあえず自分にはどうする事も出来ないからと知らぬふりを決め込んでいる自分に、こんな人間で、こんな父親でいいのかと考えてしまう部分もある。

なぜなら、人は目の前で人が倒れたとしたら、迷わず駆け寄って何か行動を起こそうとするもので、その時のとっさの感情こそが人間本来の優しさだと思うからだ。

それは、倒れた人が大人であれ子供であれ、女性であれ男性であれ、分け隔てることなく弱者に対して取る人間的な行動だと言えるのではないだろうか。

明らかに法に触れるような事をしている人を正すと言う事は誰にでも出来る。

善悪がはっきりしているからだ。

しかし、不公平とか不平等とかは法に触れている訳ではないので、そう簡単には一個人ではどうしようもない。

例えば、先にあげた真夏の交通誘導員のような仕事をしている人には、その時期だけ手当が出るとか、労働時間が長い職場やきつい仕事に対しては手当てを出すとかということなら、恐らく誰もが賛成するに違いない。

人が嫌がるような仕事をする人が少し裕福になり、なり手が増えると言う事は納得出来るし理解されるだろう。

かと言って、楽な仕事や特別必要のない役職などを見直したり、天下りを徹底排除したりと言うような事には、全精力を上げて邪魔が入る事になる。

この議論になると、途端に人は醜さをあらわにして自らを守ろうとする。

最も始末に負えないのが、とっさに倒れた人を助けようとするのも、この自らを守ろうとするのも、実は同じ人間である事が多いと言う事だ。

つまり、人間の優しい部分や清らかな部分と、ある意味自己中心的な醜い部分が共存しているのが人間と言う生き物の面倒な所なのかもしれない。

毎日の仕事や生活の中で、人の醜さを見るにつけ、とても嫌な気持ちになる。

と同時に、優しさに触れた時には、とても穏やかな気持ちになれる。

不公平とか不平等と言うものに対して今の自分にできることがあるとすれば、それは分け与え合う気持ちを持つ事ではないかと思っている。

自分がもし恵まれていると感じるのであれば、恵まれていないと思われる人に分け与えれば良いと思う。

方法は色々あると思うが、寄付もボランティアもまさに優しい気持ちのお裾分けであろう。

私の尊敬する人達というのは、けしていい車には乗っていない。

そして旅行へ行ったり豪華な家に住む事もない。

今の生活で充分幸せで、この平凡な生活を送れない人がいることをいつも考えて生きている。

そんな、恐らくかなりの少人数であろうそのような素晴らしい人達の力によって、少なからず生きながらえている人達がいることを忘れてはならないと思う。

終戦のこの時期になると、どうしても人間の醜さと言うものを考えてしまう。

格差や不公平にとどまらず、人を殺し地球を破壊しようとするのも、そこに住んでいる人間であるという事実。

人間の底しれぬ残虐性が現れてしまう戦争に対して、テレビのインタビューで若者が別になったらなったで仕方が無いと言っていたのが印象的だった。

それほどまでに、あちら側とこちら側にいる人間の認識と言うか感情と言うのは、違ってきてしまうのだと言う事をまざまざと感じた。

人生には4つの苦しみがあるという。

それは、生老病死と言って、生きる事・老いる事・病にかかること・そして死ぬ事なのだと言う。

ピンと来るような来ないような言葉ではあるが、要するに生きると言うことそのものが、すなわち苦しみなのだということなのだろう。

そんな苦しい人生でも、夢と希望を持って、毎日を少しでも明るく楽しく生きよう・・・・そう思える環境にいる事自体、極めて幸せな事なのだと私は思う。

今いる環境・・・・つまり、どこの地に生まれて誰のもとで育ったかと言う事は、人生を生きていく上においてとても重要だろう。

ある程度裕福な家庭の先進国に生まれれば、幸せな人生を送れる確率はかなり高確率だと言える。

しかし、貧しい国の貧しい家庭で育ったのだとしたら、その後の人生を歩めるのかさえ不確定だと言えるだろう。

もはや、頑張るとか生きがいを持ってとか言えるような環境ではないところで暮らしている人というのが意外にも多いということは、あまり知られてはいないと思う。

この地球上には現在約72億7千万人の人が住んでいる。

ご存知であろう我が国の人口は1億2700万人だが、なんとお隣中国には13億5千万人、インドには12億1千万人も暮らしている。

イメージとしてはアメリカ大国が多そうだが、アメリカは3億人程度しかいないのだから、中国とインドの多さは飛びぬけている。

日本では子供が少なくて老人が長生きになって来ているので、ここの所人口はどんどん減少しているが、世界全体を見ると毎年6千万人亡くなり、1億3千万人生まれているそうだ。

人口はこのままどんどん増え続け、2050年には91億人になると推計されている。

人が増えれば食べものが必要になり、自然環境は人の生活により破壊されて行く。

川も海も汚れていく一方で、いつまで魚が食べられるか解らず、森や表土も減る一方で、温暖化はいつまで経っても解消できないだろう。

豊かな国で暮らす人が、より豊かさを求めるが故に自然が脅かされて行っているような気がしてならない。

こんなデータがある。

全世界にいる20%の人が全世界の富の89%を手にしている。

全世界の25%の人が標準以下の住宅に住んでいる。

全世界の17%の人は文字を読めない。

全世界の13%の人が栄養失調に苦しんでいる。

もし、あなたが一度も戦いの危険、投獄の孤独、拷問の苦しみ、飢餓の苦痛を経験したことがないなら、あなたは世界中の5億人より恵まれている。

もし、あなたが弾圧、逮捕、拷問、死の危険なく教会の集会に出席できるなら、あなたは世界の30億人より恵まれている。

もし、あなたに冷蔵庫内の食物と、着る服と、頭上の屋根と、眠るところがあるなら、あなたは世界の75%より豊かである。

もし、あなたが銀行と財布に金があり、どこかの鉢に予備の小銭が入っているなら、あなたは世界の富豪の上位8%に入っている。

日本と言う国に生まれ、仕事が出来ていると言う時点で、どれほど恵まれた環境にいるのかを知る事が出来る。

と同時に、恵まれた人達が私利私欲のために生きるのではなく、同じ地球上で生かされている者同士として、恵まれない環境に生きている人がいる現実を知り、少しでも平等に近づく為の行動が出来るか否かによって、人類のこれからは大きく違ってくるのではないかと思えてならない。

意欲とか向上心とか競争心とか、何かと仕事では必要なキーワードであるが、ややもするとそれらがエスカレートして、人が人を傷つけてしまう事になる。

贅沢とか成長とか発展とかをしばしさておいて、自分がもし恵まれない環境に育っていたとしたら・・・・難民と呼ばれている人達の中に生まれていたら・・・・今何が一番必要だと感じているだろう・・・・・そんなことに思いをはせてみる優しさが、私達には必要なのではないだろうか。

戦争と言う人も環境も全てを破壊してしまうような恐ろしい事を実行出来るのも人間なら、全人類と地球の共存を考えられるのもまた人間しかいないと思う。

戦争と殺戮を繰り返してきたのが人類の歴史であると学者は言う。

しかし所詮人を殺し環境を破壊し、どれだけ自分達だけが裕福になったとしても、人間にも地球にも寿命はある。

頭の良い人達なら解りそうな事だが、そこに感情と言うものが入ると突然低レベルの争いになってしまうのだろうか。

核を持たない国、戦争をしない国日本が今大きく変わろうとしている。

核も銃もすべてこの世からせ~ので捨ててしまえば良いと思うのだが、震災で逃げ惑う人の家に忍び込むバカ者もいる位、人間と言うのは愚かな生き物であるがゆえに、どうしても保身の為とか抑止力などといって捨てる事が出来ない。

この上は、本当にウルトラマンとかスーパーマンとか仮面ライダーとかスパイダーマンを開発してもらって、国連にはウルトラマンとスーパーマンがいて全世界を警備し、それぞれの国の警察には仮面ライダーとスパイダーマンがいて、犯罪を食い止めると言う事では駄目だろうか。

そうしないと、いつか複数の核によって地球は亡くなってしまうような気がする。

結論、

格差・不公平・不平等を作りだしているのは、自分の考えは正しいと、世界の悲しい現実には目を向けずに、己の欲望を満たそうとする自己中心的な思想観念をもつ人間達ではないだろうか。

生かされている事に感謝するのではなく、生きてやっていると勘違いしているような輩である。

そう考えると、ゲゲゲの鬼太郎も必要か???

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