ベーカリーアドバイザーの部屋

難解な製パン理論を、楽しく解説。 どうして??と思ったらのぞいてみて下さい

手作り・・・の意味があるとすれば・・・・

2013年のスタートは、私にとってとても有意義なものになった。

今まで以上に多くの人と、パンについて語り、共にパンを作った。

そしてただ単に、作業としてパンを作っている人は誰一人いなかった。

パン作りがただ単に商売として行われている、あるいは行うしかない実情は多いと思う。

そんな現実の中にあって、手作りを実感しながらパンを作る事が出来ている自分の環境・・・・

何という贅沢なのだろうか・・・・

そして今回直接お逢いして、様々な問題解決が出来、新しい道が開けたと言っていただけた事・・・

何と言う幸せなことだろう・・・・

人間的にも、経済的にも、そして人生観ですら私など遠く及ばない立派な方々に、私のようなちっぽけな人間が何かを教える事ができている。

そして、感謝される・・・・

若い時の苦労は買ってでもせよというのは・・・本当だったんだな。

あのひっちゃかめっちゃかな青春時代。

何の才能も学力も見いだせなかった・・・・

どちらかと言えば無気力に近かった若かりし頃、たまたま何となくパン屋になり、ただただ辞めたいと言う後ろ向きな自分と闘っていた。

若くして結婚した為に、子供の存在だけが仕事を続けていく為のエネルギーだった。

良いパンを作りたいだとか、会社や社会に貢献したいなどと言う気持ちは、思いつきもしない。

ただ今日の食をつないでいく事に精一杯の、夢も希望も持たない若造だった。

ある程度年数が経って行くと、変なプライドだけが生まれ、たいした根拠もない自信が植え付いた。

もともとその程度の男であったと、今はとても恥ずかしく思う。

そんな妙なプライドを持った私は、当時は自分の作るパンに非常に自信を持っていた。

商品開発や作業工程を考える事が得意で、いつのまにか一番下っ端でありながらも全体を取り仕切っていると言う妙な状況になっていたりした。

絵に書いたような、井の中の蛙状態である。

そんな私が、会社の命令で、とあるフランスパンの第一人者が経営するお店に研修に行く事になった。

フランスパンのなんたるかは全く知らない私であったが、ならば日本のパンを披露してやろう・・・・

そんな気持ちで臨んだ数週間が、私のその後の製パン人生を大きく変える事となった。

見た事もない触った事もないような生地と、それを成形するその手さばき・・・・

そして見事なまでの美しいバゲット達・・・・

一瞬で蛙は井戸の中から大海へと放り出されたのである。

あの瞬間は、自分でも不思議な位プライドを捨てる事が出来た。

そして一心不乱にその手さばきを目に焼きつけようとした。

いつものように作ってみろと言われたが、まったく手が動かなかった。

恐らく、恥ずかしくて動かす事が出来なかったのだと思う。

それから数週間、私はフランスパンの美しさに魅せられ、その魅力に現在まで取りつかれているのである。

私が取りつかれてしまったのは、あくまで美しさであって味では無かった。

その後に様々な味を作り出そうとしてきたが、私がフランスパンに求めるのは、不思議と美しさ優先であった。

それからも、様々な講習会で有名な講師の方が作るフランスパンを見てきたが、今だかつて師匠のような美しいフランスパンは見た事が無い。

と言うよりも、完成品はともかく、生地へのタッチが違うのである。

師匠の手さばきは、生地が叩かれ折られ伸ばされていく時に、生地が喜んでいるのが解るのである。

表現方法が解らないのでこのような解釈になるのだが、師匠以外の人が生地に触れた時、生地が悲鳴を上げているように感じるのだ。

私は、毎日毎日生地が喜ぶようなタッチができるようにと、そればかり考えてパンを作っていた。

味がどうだとか、レシピがどうなどと言う事には見向きもしなかった。

そして、知らずのうちに生地と会話が出来るようになり、それ以後は製パンに対する考え方がガラッと変わっていく事となった。

生地と会話が出来るようになると、今の生地の気持ちが全て理解出来るために、それまでどのようなミキシングをされてきたのか、はたまたこれからどうしてあげれば、最高の形でパンとして生まれてくる事が出来るのかが理解できるようになった。

レシピの違いや原材料の違い、温度の違いや発酵時間の違いによって、どうしてあげることがこのパン生地にとって最良となるのかが、手を通じて解るようになった。

すると、今まで全く興味もなかった製パン理論が、何も見なくてもどんどん頭に入ってきた。

もともと納得してからでないと動く気にはなれないおかしな性格であった事が功を奏したのか、何を作るにもいちいち理屈が知りたくなり、それはすべて生地が教えてくれるようになった。

こいつは何を言っているのだろう????

妄想論者かよ!!


そう思う人が大半だろうが、知った事ではない。


手作りだから安心安全だとか、手作りだから美味しいと言うのはまやかしである。

むしろ機械の方がよほど信用出来るし、手作りする事によって、美味しいはずのレシピを台無しにしてしまっている事の方が問題だと思う。

しかも、レシピに合わせて生地の扱いを変えられる人はと言うと、恐らく皆無に近いだろう。

パンの美味しさや手作りの良さというものを、本当に表現したい場合、そこに生地の取り扱い方、つまり生地へのタッチが最も重要なのだと言う事を理解していないと、本末転倒なのである。

最も身近で、最もパンの美味しさに関わる生地へのタッチをないがしろにしておいて、具材の美味しさにのみこだわるのは、果たして本当の手作りの醍醐味だと言えるのだろうか?

売れるパンを作らなければ存続できない。

流行を見つける事も、新しいものを開発する事ももちろん大切だろう。

しかしそんな事よりも、より多くのパン職人が、生地へのタッチがいかに大切なのかを感じ取り、実践から学んだ製パン理論を身に付けていってくれることを願ってやまない。

何の取り柄もない私が、このような偉そうな事を書けるようになったのは、たまたまパン生地と真正面から向き合う事が出来たからであり、そのきっかけを下さった師匠と、師匠のお店に研修に行かせてくれた当時の上司、またそうなった運命に心から感謝している。

私に出来るせめてもの恩返しは、パン作りは生地へのタッチで決まると言う事を、これから出逢う人すべてに伝えていく事であると考えている。

私は、このブログを広めようなどとは全く考えていない。

ここにたどり着く事も奇跡であり、その後に御縁がある事もまた奇跡のようなものだと思う。

そんなちっぽけな奇跡と、生地へのタッチだけが、私とみなさんを繋いでくれているのだと思う。

そんな様々な奇跡に、心から感謝して・・・・・

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