ベーカリーアドバイザーの部屋

難解な製パン理論を、楽しく解説。 どうして??と思ったらのぞいてみて下さい

今この本だけはどうしても読んで欲しいと思います。

皆さんにも当然いるはずです・・・・大切だと思える人が。

そんな大切な人が、何かしらの理由でこの世を去る時が来る・・・・

これ以上の心からの悲しみはありませんよね。

事故とか事件とか災害などというものは、避けようがありませんし、予知することも不可能です。

どんなに悲しくても、それは不運として受け止める以外に、残された者への選択肢は無いのかな・・・・とも思います。

また、老いてごく自然な形でこの世を去る方もいらっしゃいますが、何故かそんな時には、悲しみというよりもむしろ安らかな気持ちになるのが不思議でなりません。

それは何故なのかと自分なりに考えてみますと、人生の道半ばにして、恐らくはこの世にまだ未練があり、この世を去る事が無念であっただろうと判断出来るような場合、残された者にはその無念が伝わって悲しい気持ちになり、他方人生をまっとうしたであろうと判断されるよう場合には、残された者も安らかな気持ちで見送る事が出来るのではないかと考えたりします。

自殺という考え方はさておき、自らが望んで死を選ぶということはまずありませんよね。

高齢であっても、まだまだやりたい事がたくさんあるというような元気な方が亡くなれば、やはり無念であったろうと悲しい気持ちになったりします。

もう十分人生を楽しんだろう・・・・

本人も満足しているはずだ・・・・・

葬儀やお通夜の席で良く耳にする台詞ですが、実際には本人がどう思って死んでいったのかは解りようもありませんので、結局は残った者がそうであったはずだと勝手に決め付ける事になる訳です。

ようやく逝ったか・・・・なんて本音も、時にはあるのが現実でしょう。

死の現実というのは、本人は意識が無くなってしまう為に、悲しいとか無念だとかを感じている余裕すらなく、一瞬の出来事なのだと言われています。

人の死というのが辛く悲しいものであるというのは、それは本人のことなのではなく、残された者、故人を大切に思っていた者にとっての悲しみなのだとある本で読んで、なるほどと思いました。

考えてみれば、眠りにつく時に何となくボ~っとしてくるのは解りますが、その後にはっきりといつ眠りに付いたのかについては確かに解りません。

そして知らぬ間に朝がやってくる。

仏の法にてらせば、生と死というのは、寝ては起きるようなものであると言われています。

つまり、本人にとっては、寝てしまったのか死んでしまったのかさえ、自分では理解しようがないままこの世を去るという事なのです。

死ぬのは怖いという意見と、死など恐れはしないという意見は常に人それぞれ違う意見をお持ちだと思いますが、眠るかのごとく死ねるのであれば、そんなに恐怖を感じなくてもいいのかもしれない・・・・・そう思えたりもしますよね。

ただ、いかなる状況の死であっても、残された者との別れの時間というものだけは、どうしても必要だと私は思うのです。

何故かと言いますと、死にゆく者には、残された者達への伝言であるとか、お世話になった人への感謝の言葉であるとか、特に道半ばであったとしたら尚更の事ですが、これからやりたかった事、なりたかった未来の自分を語る時間があると無いとでは、大きく死に方が変わってくるのではないかと考えるからです。

自分の意見や考え方を、堂々と言えないでいる環境に身を置く事が人生にはあるはずです。

本当は口にしたくても、伝えきれていない感謝の言葉や愛の表現もあるはずです。

それをまったく伝えられないまま、一人で死んでいくというはとても心残りであると考えますし、残された者にとっても、それを聴けたのと聴けなかったのでは、悲しみ方が多いに違ってくると思うのです。

それだけに、事故や災害で亡くなられた方々の無念、そして残された方々の悲しみというのは、計りしれないものであろうと思うのです。

別れの瞬間は誰にでも訪れるわけですが、そこにきちんとした別れの儀式があるのとないのとでは、まったく意味が違ってきます。

いったい何を思って死んでいったのであろうか・・・・・

さぞかし苦しかったのではないだろうか・・・・・

そのような一方通行の思いだけが残ってしまう、残された者の悲しみ。

例えどのような死が訪れるのだとしても、その数時間、数日、数ヵ月という語らいの時間さえ許されるのであれば、どれほど残された者の悲しみが和らぐ事か。

そして恐らくは死にゆく者の無念も、少しは晴れるのではないかと思えてならないのです。

なぜ今回、このようなことに触れているのかと申しますと、皆様もちょいちょいお世話になっているであろう医療の現場においても、無念の最期や、お別れの時間がない状況が多々存在し、なぜその様な亡くなり方を選んでしまったのだろうという後悔がうまれるような治療が、実際には行われているのだという事を知って頂きたいからなのです。

テレビを見ていると、やたらと芸能人を検査しては、肥満だ、糖尿病予備軍だなどとおどし、それを面白半分に取り上げている番組があります。

これは、検診や検査というものを、もっと気楽に受けましょう・・・・という事への誘導だと感じてなりません。

”それでいいじゃないか”  ”きっかけをもらった方が病院へ行きやすくなる”

その様な意見もおありでしょう。

というよりも、大多数がそうお考えの事と推測できます。

日頃なかなか検査に行けない、仕事にかこつけて、検診をさぼっているのは確かだ。

このままいけば、どんどん不健康な身体になってしまう。

だからこそ、このような番組で検診の重要性を訴えているのだろう。

そのように、検診を定期的に受ける事は必然で、それを受けないでいるのはサボりであると思われている方が多いと思うのです。

それはなぜでしょう。

どうして定期健診は受けるべきだ、それが健康を維持する為の必要条件だということになってしまうのでしょうか。

それは、検診を受けることで、今の自分の体の状態を把握する事が出来るから、そしてなによりも、悪い所が見つかったら早めに治療をする事が大切だからと思われているからでしょう。

早期発見、そして早めに治療が大切で、何年も検診をサボってしまった人などは、罪の意識すら覚えたりしているはずです。

それが現在の日本の医療大国としてのある種の悪なのだと声を大にして言いたいのです。

むか~しむかしは、病気になってもお金がないと医者に診てもらう事が出来なかった。

医療は一部のお金持ちだけが受けられるものでしかなかった。

それが今では、誰でもがいつでも、ほぼ必要な治療をしてもらえる時代になり、これで何があっても検診さえ定期的に受けていれば大丈夫、日々先進医療が研究されていて、今ではガンですら治せる・・・・・

その様に思われている人が大多数であると思いますし、報道はその様に行われています。

基本、私達はテレビを信用しますよね。

ラジオでもインターネットサイトでも、著名人や有名人の名前が出てくれば、ほぼ信用はしていると思います。

芸能人をターゲットにして、高名な医師達が解説するような番組が非常に多くなってきましたし、あらゆる地域や団体が検診というものを推奨している今の現状では、検診の必要性は疑いようのないものであり、むしろ検診を受けないでいるから体調が悪くなったのだと思われている方も多いのではないでしょうか。

しかし、それは大きな間違いです。

検診というのは、実は皆様の病気を発見して、早期治療にて回復を・・・・・というようなものではないのです。

もちろん、大義名分としてはその通りです。

テレビに出て来る多くの高名な医者達も、検診の重要性を訴えている芸能人も、地域や団体も、けして皆さんを騙している訳ではもちろんありません。

では何が間違っているのかといいますと、検診というのは百害あって一利なしなのだという事実なのです。

そして、その事実は何故か一部の人しか知らない、知りえないでいるというのが現実なのです。

なぜか?

それは、報道機関、医療機関などが公開しないからです。

なぜ公開しないのか?

それは、医療機関にとっては検診の重要性を訴えなければ、患者であるお客様が激減してしまうからであり、そうなれば検診業務を行っている機関や製薬会社が倒産してしまうからです。

口で言うのは簡単ですが、検診機関や製薬会社、又はそれに関連するような会社が、いったいどれほどの雇用を生んでいるか、どれほどの法人税を国に納めているか、それは私達の想像を大きく超える莫大な人数と金額なのです。

ですので、報道機関も一部ではそう思っている人がいたとしても、とても組織を上げて報道するなどということは出来ないのです。

原発再稼働が、安全性などの観点からすれば、誰しもが反対なのは気持ちの上ではそうかもしれませんが、実際には雇用を生んでいる事は確か、その雇用があるから仕事をして生活をしていけるのだということも確かで、気持ちとは反対に賛成に回らざるを得ないという人々がいるのと同じ事なのです。

沖縄の米軍基地問題も同じです。

悪いと解っていても、そこに雇用が生まれる事実、そこで生活をしていかなければならない現実がある以上、良い悪いという感情論ではどうにもならない問題なのだということなのです。

ましてや、検診となればそれはもう全国民の一人一人が対象なのであり、全ての医療機関、そして国民皆保険制度の根底に関わる問題です。

例え検診に百害があるのだとしても、それが公に出る事は将来的にも難しいのではないでしょうか。

”おいおい、とうとう狂ったぞ このパン屋は・・・”

そう思われる前に説明しておきましょう。

私がこの理論に出逢ったのは、確か30歳くらいの時だったと思うのですが、書店にてたまたま目についた書籍を読んだのがきっかけでした。

”近藤 誠 著 患者よがんと闘うな”

何が身体によく、何が身体に悪い、何が安全で・・・・的な本は嫌というほど読んできましたが、病気と闘うなとはこれいかに・・・・

そんな思いとは裏腹に、その場にて立ち読みで完読してしまい、それを購入していったい何度読み返したことか・・・・

これは間違いなく、現在行われている医療現場の常識にNOと言っている。

もしこれが本当であるならば、この医師は抹殺されるに決まっているし、経験から言えば妄想論者であるはずなので、すぐに消えてしまうだろう程度に考えていました。

しかし、内容としては何度読み返してみても、実に理論武装されていて、疑いようのない素人にも解りやすり説明になっていたのです。

もちろん今現在では、特に家族にガン患者などがいるとすれば、名前くらいは知っているというほどの有名人になってしまいましたが、本を出版されてから昨年の定年退職を迎えるまでの間は、慶応大学病院の放射線科の講師として、まさに現役の医師として医療現場に身をおく一人でした。

そんな大病院に居ながらにして、自らの病院内にかかわらず、すべての医療現場に対して検診は百害あって一利なしと言い放ったのです。

ブログもそうですが、書籍も書いたもの勝ちです。

すんごいことを言ったり書いたり行ったりする人は必ず出てきますが、これまた必ず消えていきます。

しかし、近藤医師は現役の医者でありながら、その理論を唱え続け、定年退職した今では、ガン患者の相談を受ける専門のセカンドオピニオン外来を運営されています。

今までに執筆された書籍は20冊をゆうに越しますが、私はその時代時代に熟読し、合わせて常に他の医師が反論している書籍も読んできました。

日本中の医師を敵に回している訳ですから、高名な医師が黙っている訳はありません。

事実、何度も対談や討論は行われてきましたが、現実問題として近藤医師を妄想論者であると打ち負かせる医師は存在しませんでした。

また、近藤医師は特に乳がんの権威として、当時は当たり前のように行われていたハルステッド術という、乳房を根こそぎ全摘出してしまう手術に大反対していました。

乳房をすべて無くしてしまった女性は、もちろん温泉などには行く気にもなれないでしょうし、家でも風呂に入るたび、裸になるたび、そのえぐれしまった胸を見てはどんな思いをするのか・・・・・

乳がんで悲しい思いを味わった人達と共に、乳房を温存しながら行う治療法を全国に発信しつづけ、今では乳房を温存するのが標準治療になったのです。

事実、私自身も乳がんにかかった友人に近藤医師の所に相談に行かせて、今もおっぱいが現役活躍中の女性がいます。

その事実だけでも、その功績だけをとっても実に素晴らしい事だと思うのですが、やはりガン治療法の全般、検診全般を否定している近藤医師は、日の目を見る事が世の中的には難しいのだろうと考えてしまいます。

では、例えお前がその医師の理論を推奨しているのだとしても、それを人に勧めるのはおかしいのではないかと思われる方もいらっしゃるでしょうから、なぜ今近藤誠の書籍を勧めるのかを次回から説明して行きたいと思います。

身内に病人がいない人にはピンとこない話であり、医者を信じ切っている人にとっても無礼な話であり、健康には自信があり、自己管理はバッチリだという人にも大きなお世話でしょう。

ところがです・・・・

検診に行ったその日から病人にされてしまう人、そしてそのまま帰らぬ人となることも世の中にはたくさんあるのだという事を知って頂きたいのです。

赤信号、みんなで渡れば怖くない・・・・というのが今の医療です。

ところが、赤信号に車が飛び込んでくれば、間違いなく数人は死んでしまいます。

その数人の中に自分が入る確率が低ければ、それで安全と果たして言えるでしょうか?

その数人が、もし自分の大切な人であったならば、それを事故だからとあきらめきれるでしょうか。

そもそも、もし本当に検診が害なら、わざわざお金を使っていく事に何の意味があるでしょうか?

無意味な検診、無意味な治療、それらが人の無念を生む事に一役買っている事があるとしたら、それはもう自分だけが信じていればいいという問題では無くなってきます。

少なくても、このブログを見てくださっている方には発信すべき重要な情報であると私は考えます。

是非、自分や家族の為、そして友人の為にも、この書籍だけは目を通してみて欲しいと思います。

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://sizuasa.blog44.fc2.com/tb.php/423-5cd3725f
該当の記事は見つかりませんでした。