ベーカリーアドバイザーの部屋

難解な製パン理論を、楽しく解説。 どうして??と思ったらのぞいてみて下さい

その食生活は本当に安全なものと言えるのか

今の世の中、情報はあふれかえっている。

何が真実で何が大ウソなのかは確かめようがない。

書くことも言うことも自由である我が国においては、その情報の真偽は自分で判断するしかないのである。

これが個人レベルの話なら、人の数だけ様々な考え方があってしかるべきで、例え他人が自分と同じ意見でないことがあったとしても、別にどうということもなければ、それが自分に悪影響を与えることなどはありようがない。

ただ自分の考えを信じていれば良いというだけの話である。

しかし問題なのは、個人レベルではない、個人ではどうしようもない事柄については、いろいろと調べて他人の意見や専門機関などの情報を収集しながら、それを自らの考え方で結論付けていくということを私たちは日常的に行っているはずだ。

一他人の意見ならそれほどまでに丸ごと信用するというようなことはないと思うが、こと専門機関などが公表する情報であれば、人はほぼそれを信用してしまうだろう。

なぜかといえば、それ相応の専門家たちが集まって研究に研究を重ねた結果であるはずだと解釈しているからだ。

その専門機関、あるいは書籍やHPなどから得る情報もそうだと思うが、より大きな組織、有名な組織であればあるほどその信頼性は増し、書籍であれば筆者の経歴や知名度などによってその信頼度も変わってくることだろう。

いずれにしても、その道のエキスパートであると判断できるような方面からの情報ということになれば、ほぼ無条件で信用してしまうのが当たり前といえば当たり前であろう。

がしかし、実際には情報というものは歪曲してしまうことが多々ある。

つまり、伝えようとしていることの真実を間違った解釈で受け止めてしまう人が多いのも事実なのだ。

幼少のころによく遊んだ経験をお持ちの方も多いと思うケームに、伝達ゲームなるものがあったと思う。

「誰々がいつどこでなにをした」というような短めの話を人から人へと伝えていくというゲームだが、数人を経過したあたりから話の内容が全く違うものになってしまうのだ。

これは、記憶力の問題であるともいえなくはないが、人は人から聞いたことを誰かに伝えるとき、悪気はないにしてもそこに自分なりの意見や主張のようなものを織り込んでしまう習性がある。

要するに自分に都合の良いようにしか記憶できないという所があるようなのだ。

何度も言うが、もちろん悪気などは一切ない。

ただ、クソがつくほど真面目な人ならば、ほぼそのままを伝えることができる可能性が多いという見方もあるし、遊び心旺盛な人・想像力豊かな人・天然な人などの場合には、内容が大きく変わる可能性は大だと言えなくもないと思う。

このように、たとえ情報の発信源が正しい情報を流していたとしても、人は時としてそれを自分の都合のいいように変換して記憶してしまうことが多いのである。

そしてそれを他人に伝達してしまうのだから、どんどん内容が変わってきてしまっても致し方ないと言えるだろう。

パン作りをしているうえで、またはこのブログでも何度も触れてきた内容でもあるが、食の安全性という実にアバウトな単語が連呼されている実情がある。

確かに食品の販売現場では、国内産とか無添加などの文字が目立つ。

ありとあらゆる食品のパッケージには、合成保存料無添加、遺伝子組み換えではないなどの文字が目立っている。

「子供のためにはできる限り安心安全な食品を選びたい」

「自らの健康を維持するためにも、安全な食生活は欠かせない」

至極当然でしょう。

そりゃ危険なものだと解っていれば、誰も食べはしません。

食品添加物や残留農薬、そして食品表示偽装などが心配な外国産、それらの心配のない無添加で無農薬、そして国内産の食材を食べましょうというのが、今の一般常識だと思う。

しかし、それらが高額であったり、簡単に手に入らない場合には、「まあ今回はこっちでもいいか・・・」 「特売で安いし」 という程度の認識でしかない人も多いはず。

というか、未だほとんどの人がそんな程度のニュアンスでとらえているのではないだろうか。

ではこのような、気にはしているものの、無添加の食品しか食べないとか、完全無農薬の食材しか口にしないと言うほどでもないという方々は、食の安全には興味がないのだろうか。

子供に危ない食べ物を与えても平気なのだろうか。

そんな訳はないということは誰にでもわかる。

ではなぜ、多少高くても、多少入手が困難でも、安全な食材専門のお店で買わないのだろう。

なぜ一般のスーパーがあのようににぎわっているのであろうか。

それは、経験と体験によって、名のあるスーパーがおかしなものを販売するはずがない、よく知るメーカーの商品が危険なはずがない、そして何よりも毎日それを食べ続けてきた自分自身に健康被害が特にはないというのが理由なのではないだろうか。

確かにことあるごとにテレビでは「あの食品が危ない」 「あの添加物には発がん性がある」 「残留農薬が基準値の何倍見つかる」 などと報道されるので、体調の悪い人はまずそれを気にして調べ始める。

すると、いかに添加物や農薬が危険であるかという書籍がわんさかと出てきて、いかに自分が危険な食べ物を食べ続けてきたかを反省することになる。

しかし、特に健康な人には、「そうなんだ~」程度の認識でしかなく、全く同じ金額で無添加と書かれているものがあれば、そちらを選ぶことはあるが、何が何でもというわけではないという人は多いのではないだろうか。

中国人の悪口を言うつもりはないが、中国の人たちは (と言っても富裕層の人たちに限ったことだと思うが・・)ここ数年でとんでもなく豊かになってしまった。

あれがはやっていると言えば買いあさり、これがはやっていると言えば食べまくる。

もともとあれだけの大所帯なので、集中して買われてしまうとすぐに世界的な品薄になり、その恩恵で貿易・流通が乱れてしまい、いろいろな食材が品薄状態になってしまった。

日本でも当時、みのもんたがテレビで 「これが体に良いらしい」 というと、すぐさま品薄になってしまうという現象があったが、中国ではそれが日本の数十倍になるのだからたまったものではないことはお解りいただけるだろう。

みのもんた現象以降、あれほど極端に買いあさるような行動に出ることはなくなった気がしているが、どちらの国民も情報に簡単に踊らされる国民性なのだということが言えるだろう。

そんな踊る国民ですら、これだけの長きにわたり、食品添加物は危険・農薬は危ないと言われ続けているにもかかわらず、オーガニック食材の爆買いとか、無添加ではない食品の販売禁止などには至らないのはいったいなぜなのだろうか。

国民は皆食品製造会社に騙されているのであろうか、そしてこのまま今の食生活 (特に無添加を気にしない食生活) を続けていくと寿命が縮んでいくのであろうか。

もちろん騙されていることなど数え切れないほどあるだろう。

それはなにも食品だけの話ではない。

しかし、それらの真実が分かったとしても、すべてを回避して生きるなどということはあり得ないのである。

そして何よりも確実なことは、日本人の平均寿命は伸び続けているという事実だ。

このことが証明するのは、ストレスやら生活習慣やら危険だと言われるような食生活はいけないと言われているにもかかわらず、”ちゃんと長生きしてるじゃん” ということにつきるのではないだろうか。

つまり、なんだかんだ言われているほど危ないものは食べていないのではないか、やはり報道があると一時心配にはなるが、ずっと食べてきた食品だし、信頼できる日本の企業なのだから大丈夫なのではないか・・・・の証明なのではないだろうか。

それでもとにかく無添加と言いう文字は踊っている。

企業も添加物は危険だという認識のもとに、無添加の商品を次々と売り出しているのではないだろうか、そう思えてしまうほど踊っている。

一番多いのは合成保存料・合成着色料無添加という文字だ。

そして国産もそうかもしれない。

まず、曖昧にしたくないので、現在我が国で使用されている食品添加物が危険なものかどうかについて簡単に説明したい。

上記の食品添加物というのは、その食品の腐敗を遅らせたり、色味をよくしたりするために使用される。

さらに、それによって腐敗菌などの繁殖を防止し、多少賞味期限が過ぎようとも身体に害のないように使用されているのである。

もしこれらが一切使われていなかったとしたら、日本にも多くの感染症がはやり、間違いなく寿命が縮まるだろう。

では、そんな効果のある合成保存料と合成着色料を使わないとしたら、その食材はすぐに腐ってしまうのかと言えば、全く使っていなければもちろんすぐに腐ってしまうし、下痢や嘔吐で医者は大忙し、製薬会社はお儲けだろう。

しかし、これらが無添加の食材を買っても、今までのものと消費期限、あるいは賞味期限が違わないことにお気づきだろうか。

なぜかといえば、合成保存料ではなく天然保存料、そして天然着色料を代わりに使っているからなのだ。

合成は化学的だから危険で、天然なら自然界のものだから安全だと思う人が大半だと思うが、実はそこが大きな落とし穴なのだ。

企業は、世の中が無添加無添加という中で、少しでも商品を購入してもらう方策として合成ではないものを使って、合成保存料・合成着色料は使っていませんよと言っているので、嘘はついていないもののなんとなくごまかしていることは確かである。

しかし、何かと叩かれる合成という言葉を使わずに、それでも腐敗などから食べる人を守りたいという思いから、このような方策がとられているのである。

最近では合成という言葉よりも、トランス脂肪酸のほうがクローズアップされているようだが、このトランス脂肪酸というのは実は牛肉や牛乳、チーズなどにももともと含まれているもので、マーガリンにしろサラダ油にしろ、これらのどれを大量に食べたとしても、それはそれで健康を害するのであって、食べ過ぎなければ何の問題もないのである。

合成の食品添加物というのは、単体で食べるものではないために、ラットを使って様々な実験を繰り返し、ありとあらゆる成分分析を行うのですべてが丸裸にされる。

つまり、使用量さえ守れば、または食べる人がギャル曽根クラスの量を数年間、しかもそれだけを毎日食べ続けるような偏食をしない限りは、全く安全なのだ。

それに比べて天然の添加物に関しては、すべてを調べることが実はできていないのである。

なぜかと言えば、膨大な種類が存在するからである。

例えば、企業で食品を製造する際に、色付けとして何かの植物を使ったとする。

それが世間でよく知られている植物の葉っぱだとしても、食品に添加すると食品添加物として、本来は認可をもらわないと使えないことになっているのだ。

我々は、経験的にどの植物が食用に適しているかを知っていて、ほぼ毎日のように食べている。

しかし、その毎日食べている、例えばほうれん草やジャガイモなどの成分はほとんどの人が知らないし、知っているのは栄養価くらいだろう。

しかし、食品添加物としてこれらの野菜を調べてみると、聞いたこともないような化学物質が数百品目も見つかるのだ。

合成の食品添加物というのは、そんなミクロの世界のような物質まで調べて、しかもそれをすべて実験して安全性を割り出しているのである。

それに比べて、ホウレン草やジャガイモなどの場合は、すべてを調べようがないのである。

なぜならば、その地域の土壌の性質や気象状況、そして肥料や日射時間などによってみな違うからである。

つまり、きちんと調べて認定された食品添加物よりも、どのような雑菌や病原菌、そして路地ものには特に排気ガスの危険や動物の糞などがどのくらい残留しているかどうかが解っていないホウレン草やジャガイモのほうが、本来なら何十倍も危険なのだ。

もっというなら、空気を吸うこと自体ですでに大量の化学物質を体内に入れていることになるのである。

化学物質というと、すべて作り出したもののような錯覚を起こしがちだが、自然界には数え切れないほどの化学物質と細菌が存在しており、それがたっぷり残留している野菜を、私たちは毎日何げなく食べているのである。

農薬も、もちろん使わずに済めばよいのかもしれないが、そのほとんどは残留していないし、むしろ無農薬野菜のほうが多くの化学物質と害虫による被害で病原菌や細菌がたっぷりなことが多いのだ。

でも、そんななんちゃって無農薬の野菜を頂いて食べていても、特にそれで病気になった、具合が悪くなったと思うことはまずないであろう。

なぜなら、それが人間という生き物だからだ。

悪いものは排出し、どうしても取り込んでしまったものは細胞の入れ替わりとともに少なくなっていく、そのようにして常に体内の細胞も表面的な見た目も変わりながら日々を生きることができるのが人間なのだ。

食品に含まれる化学物質などは、それ相応の研究機関が毎日毎日研究を重ねている。

そしてそのような機関というのはどこの国にもあるわけだが、どこの国の機関であれ、統一の見解とされているのが 「なるべく多くの種類の食材をバランスよく食べること」 なのだ。

随分と聞きなれた言葉だとは思うが、突き詰めればすべての食生活はそこに至るのである。

私たちが毎日食べている普通の食生活で、同じものばかりを大量に食べるということはあまりないはずだ。

その時点で、数値的に見ても食品添加物や化学物質による悪影響、そして植物やくだものなどの残留農薬はゼロではないにしても、特に体に悪いとか危険であるというレベルとは程遠いのである。

ちなみに、キスをする・鼻をほじる・口に手を入れて歯の食べかすを取るなどの行為は、今まで述べてきたあらゆるものの数百倍以上、直接体内に病原菌や細菌を入れてしまう行為だそうだから、そちらのほうを控えるようにしたほうがよほど体にはいいと言えるだろう。

食べ物というのは、このように分析してすぐに体に良いとか悪いとかという話になりがちだが、もっと大切なのはそこから得られる栄養であり、食べる喜びというような感情もとても大切な要素だと思う。

あれが悪いこれが悪いとあら探しをするよりも、食品の廃棄をどうしたらなくせて、どうしたらすべての国の人々がせめて一般的な食事ができるようになるだろうと思案してほしいものである。

食品添加物なんかよりも、もっともっと危険ですぐそこまで来ている危機が、私たちの子供や孫に降りかかると思われる。

資源は無限ではないので、無駄を省き再生技術を駆使していかなくては、いずれ人間の数が資源を上回ってしまう。

そんな大変な状況であるにもかかわらず、相も変わらず同じ地球に居ながらにして互いを攻撃するためにお金を使っている輩がいる。

自分自身の健康と国の繁栄・・・・と誰でもが考えることだとは思うが、地球の健康がそこなわれれば、そもそも個人なんて存在すらできないのだということを、頭の良い方々なら解りそうなものだが、よすぎるとかえってダメなのだろうか。

今まさに地球レベルで物事を考えていかないと、手遅れになってからではどうしようもないということは十分考えられるのに・・・・・・・

一見企業が優位に立って物を作り、我々はそれを買わされているかのような気にもなるが、買ってもらえなければ企業は存続できないのだから、優位に立っているのは我々買う側なのである。

我々が安心安全と騒ぎ立てるので、仕方なく企業は 「今でも十分安全なのにな~」 と言いながらも求められたものを作る以外にないのが今の食品の現状なのである。

企業がどんなに詳しく説明しようとしても、我々は専門的なことを言われても敬遠してしまうことが読み取れるので、ならば天然ですよ、国産ですよと解りやすい文句が踊っているのだ。

消費者は厳しい目線でいる方が、企業の不正などの抑止力になることは間違いないだろう。

しかしそれははたして、今やるべき重要課題なのだろうか・・・・・・

もう贅沢はこの辺で勘弁してもらいたいと思う今日この頃であった・・・・・・

1 Comments

田舎のパン屋 says...""
同感であります。
2015.11.10 11:31 | URL | #RAa2TALo [edit]

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://sizuasa.blog44.fc2.com/tb.php/453-57466a74
該当の記事は見つかりませんでした。